2011年12月31日 (土)

2011年かぁ...。

毎年、年末になると、本年のまとめを書いているのですが、今年ばかりはうまく行きそうにありません。あまりにも、重篤な事が起こりすぎていて、年単位でまとめられるような事態ではないと思うからです。

この先、僕らは本当の未体験ゾーンに突入していくんじゃないか、という気がします。

関東東北の大地震と、僕の故郷も流し去った東北の大津波、福島第一原発の壊滅的な事故、超円高、欧州の金融危機、朝鮮半島情勢の流動化、などなどが、予測や予想ではなく、現実に、今年1年の間に、実際に起こってしまいました。

<↓津波にやられた僕の故郷一帯今年5月。海の神様を祀る熊野神社の階段からの風景>
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<5月に帰省した時のリポート記事>
<9月に帰省した時のリポート記事>

その中でも、やっぱり一番悲観せざるをえないのは、福島の原発事故です。
本当に大変な事になってしまいました。

<↓核爆発の可能性も指摘されている東電福島第一原発3号機の爆発>
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震災前、もしも国内の原子炉が3基も同時にメルトダウンするという事態が起こったら、日本は壊滅するに違いない、と、誰もが思っていたと思います。
そして、そんな悲惨な事は起こるハズはない、東電は折り紙つきの日本の最先端技術を使ってあらゆる事態に備えているし、政府も、原発事故に備えて万全のマニュアルを持ち、人々の安全のためにしっかり機能してくれるに違いない、と(少なくとも僕はね)思っていました。

でもそれが実際に起って、9ヶ月を過ぎようとしていますが、どうも、東電は安全対策に対する手間やカネをケチっていたし、事故後の情報も都合の悪いものは隠しているようだし、政府も実は原子力災害マニュアルもろくに実行できず、なんだか場当たり的に「政治判断」とかいう「テキトーな」対応を繰り返しているようです。
もちろん、野田総理の「事故終息宣言」は、多くの人が指摘しているように、完全な茶番です。

日本、少なくとも東日本は今回の事故で、出生率も減り、住民の寿命も短い「被曝地帯」になりました。いみじくも枝野さんがのたまった「直ちに」の時期は過ぎてきましたので、ぼちぼち、これから健康被害が全国で目に見えてくるでしょう。日本人は、多かれ少なかれ、全員が「被爆者」になりました。
例えば、なんか最近若い人が死にやすい、よくわかんないけど周りの人みんな体調が悪い、あるいは、栽培している植物がなんか変、奇形や発達障害の子供が身近によく生まれるようになる、ノラ猫が今まで見たことのない病気になっている、みたいな事が日本の広範囲に起こってくると思います。
「みんなすぐに放射能で死ぬ」みたいに緊急なことではないけれども、うっすらとした生命の危機が蔓延する日常がやってくるんだ(来ている)と思います。(福島などの高線量地帯ではもっと直接的で悲惨な色々な事が起こるでしょう...せめて福島の「悲惨」に対しては手厚い国の援助をして欲しいものです)。

生命活動に放射能が作用したら、生物の細胞(人体も)は正直に反応するだけです。原発事故以降、高濃度の汚染地帯で何の変化もないのなら、おそらく、生物が放射能に対して進化した事になるんでしょうけれど、そんな事、あるはずがありません。何の変化も認められないのなら、その調査がオカシイのです。

例えば、公に発表されている東京の放射線空間線量ですが、南東北に比べれば低めとはいえ、場所によっては事故以前の2〜3倍はあります。さらに、雨水などで凝縮されて信じられないぐらい高い所も際限なくあるでしょう。それでなんの影響もないわけはないと思います。

<放射性物質の汚染日時と範囲 群馬大早川教授のブログ>

津波被害の瓦礫の処理にしても、福島の東電原発事故のおかげでまったく滞っているわけです。原発事故さえなかったら、東北の太平洋沿岸の未来も、もう少し明るかったはずなのです。

というわけで、ひとことで言うと、不安、というか不明、というか...そんなカンジです。
自分や身内の健康が不安、というより、先程書いた「うっすらと生命の危機が存在する状態」が世の中をどう動かしていくのか解らないからです。

農業や漁業といった一次産業は、一体、どれだけダメージがあるのか、まだ全貌は誰にもわからない状態だし、かといって、作付けや漁をやめれば食べていけない...という訳だし、行政や東電が何か親身になってやってくれる事でもないようだし、どうなるんでしょう。
特に海洋汚染は大きな不安の種です。海が放射性物質の放出でとんでもなくマズイことになっているとすれば、島国日本は、水産業もそうですが、精神的にも本当にヤバい局面にたたされます。その範囲は三陸沿岸にとどまらずに、沿岸海流によって太平洋に面しているあらゆる沿岸に及ぶわけで...千葉県なんかはもう影響でていますよね。

今にして思えば、あの巨大地震が、世の中のスイッチを大きく切り替えたんだと思います。そこに間が悪く、バカで不完全な原発があったがために余計にややこしい事態になり、「ちょっと先の未来」が見えにくくなってしまった。
しかもさらなる大地震の予兆も現実的にあるわけだし。先の大震災の巨大余震の危険はあと数年間はそのままここにあるわけですよね。
震災前の日本は、ちょっと暗めで弱めで不景気だけど、まだ安定していて、それなりに先が見通せるような気がしていましたが、震災後は、とても流動的でぐにゃぐにゃした、不安定なトーンが「暗くて弱くて不景気」の上にさらに加わった感じ...?かなあ。

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仕事については、まあ、とりあえずは、目先のことを粛々と、という事になるんですが、うちが、この先プロダクションとしてやらなければいけない方向は多分決まっていて、それは、個人の消費者に対してアプローチする事だと思います。つまり、映像の「小売り」ですね。
今も、僕が代表をしているイメージメカニックLLPでは自社制作のDVDタイトルの販売をやっていますが、たしかに、いわゆる「ロングテール」というものは存在します、それは数字としてわかる。
発売当初は、企画さえ間違えてなければある程度売れるわけですが、売上が下がりきった所で、それ以上下がらない、下がりきっているけれども、無視もできないボリウム、というのが確かにあります。
このロングテールを必要な太さに増やしていければ、いいんじゃないか。ざっくりいうとそんな感じです。

行政や企業、マスメディアの仕事は効率もいいし、経営的にはとても助かるんですが、この数年の経験からいうと、それって実は想像以上に脆弱で、景気の動向に驚くほど迅速に、敏感に反応するんですよね。特に最近は、何か起こるとサッとひいちゃう。なにしろ、不安定な時代ですから、そういう企業や行政の仕事もやっていきつつ、それとは違った原理で動く最後の頼みの綱を確保していかなければ。

企業の発注に比べると、個人の趣味的な消費はやや、ゆっくり反応している印象があります。特に、うちがやっているような、ごくニッチな領域だと景気の影響すらほとんどなく(は言い過ぎですが)、地下水の温度のように一定。これを、ごく僅かな温度差を使った発電みたいに、地道に開拓していくのがいいかなあ、おもしろいのかなあ、可能性あるんじゃないかなあ、と思います。

あとは、そうだなあ、フリーのCGソフト、Blenderのポテンシャルをこのところ研究しているので、これを仕事に活用していくノウハウをさらに高めて行くこととか。

それと、映像のアウトプット先として、スマフォのアプリに可能性があるのかどうなのか、その辺りを探っていきたいと思っています。それに伴うビジネスモデルも、自分なりに見極めたいと思います。

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で、また話はもどってしまうんですが、今必要だ、と切に思うのは、今年起こった、特に震災+原発事故をわすれないようにすることです。マスメディアを通じて「もう忘れて前を向こうよ!(震災も原発も、それらによって明らかになってしまった政府や自治体のブラックなあれやこれやも)」というキャンペーンがはられているし、年明けには更にそういうバイアスが強くなるでしょう。何事につけても忘れやすい日本人は、しっかり警戒して、みっしり頭の中に叩きこむ必要があるのではないか。年末に入って、政府の原発事故トンデモ収束宣言以降、原発問題に関してはテレビの「御祓」「ガス抜き」番組が増えてきました。警戒しないと。
しばらくは、アートやメディアは、このふたつのテーマに絞って表現活動を行なってもいいじゃないか、ぐらいの大きな出来事だったと思います。戦争地帯で戦争をテーマにした表現が主流を占めるのは自然なことでしょう。しかも、このネタは今後少なくとも50年ぐらいは、現在進行形であり続け、古くならないものです。福島東電原発事故に限って言えば100年は現役なテーマです...。

2011年に日本に起こったこの最悪の事態を、なるべく具体的に、詳細に覚えておく事が、リアルタイムにこの災害に遭遇してしまった僕らの責任なのかな、と思うしだいです。

しかし、今年はほんとに蝉が少なかったな~。
来年以降に自然界に見えてくる放射線の影響も気になりますね...。
ノラ猫たちも、放射性物質が濃縮しやすそうなところを好んでうろつくんだよな〜。

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2011年11月16日 (水)

カセットテープ

引越しの時に捨てずに持ってきたカセットテープのライブラリが段ボール箱(引越しダンボール大)にいっこぶん。
これをなんとかデジタイズして捨てようと、こんなものを購入しました。
コイツを使って、仕事しつつの裏稼業でカセットテープのデジタイズ作業に精をだしています。

イオンオーディオ Tape Xpress

USBでPCにつないで、カセットテープを再生し、MP3に変換してiTUNESのライブラリに入れる装置。アマゾンで¥3600だったか(なんか今取り扱いできないらしいんだけど)。
まあ、値段なりの安っぽい代物ですが、十分役にたってくれています。(送り方向の巻き取りがすぐダメになっちゃいました...)
同梱の「Vinyl/Tape Converter」というソフトを使ってタイトルをつけたり、トラックを分けたりもできます...ただ、いちいち面倒なので、アーティスト名とアルバム名だけを入力して、曲名はぜんぶ「Unknown」にしてしまっていますが。

このカセット群、ミュージシャンはほとんど、80年代のインディーズです(あと演歌が少し)。
もう聞き返さなくなって久しい曲ばかりですが、改めて聴いてみると、80年代のこういう音楽のムリムリな方法論が、なんというか「なごむ」。開放感があるというか。「野蛮」なのかな、つまり。

しかし、思えば、カセットテープって良いメディアだなぁ。
素人が自分でハンドリングできるし、データと違ってモノとしての実感がある。
時間の経過と共に物理的なモノ(テープ)が動いていって、その結果音が鳴ったり、録音できたりする。こういうのが、人間の生理にはぴったりくるんだとおもうんですよね。単純に納得感あるし、気持ちもいい。しかも、CDとかと違って、「機構」が組み込まれていて、振るとカタカタ音するし。
生活の中にあって、実に愛すべきモノです。
とても愛らしいメディアといえるでしょう。

あくまで素人が扱う家庭用。でも、その中には色んなものを入れることができます。
カセットを使ったマルチトラックレコーディングだってできたし、インディーズの音楽ディストリビューションの一番簡便な手段でもありました。
家庭用のテクノロジーだからこそ「安く」て、そのかわり、ユーザーの知恵で色々な広がりが生まれてくる。ちょっとした使い方のコツに熱くなってみたり・
そういう意味では、8ミリフィルムもそうですね。

アナログ時代にあったこの、厳然としたプロ用、家庭用の線引きが無くなった「今」って、まぁ、便利な時代なんだけど、なんかちょっと、面白さが減った、という感じもします。
誰でも、失敗なく、高品質、というデジタル時代の恩恵が、本当にシアワセにつながるのかどうなのか、そんな事も考えてみる時期なのかなあ、と。

デジタイズしながら、おお、これやっぱりいいなあ、と思ったのが、これ。キュアーです。
当時(80年代)のバンドの中では、メロディの力が一番あったような気がします。
なんかちょっと色物っぽいんですが、当時のバンドは色物じゃないとつまんないですよね。

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2011年11月 5日 (土)

牧野記念庭園

9月3日は、やらねばならない仕事もありつつ、リフレッシュしたくて、出かけてきました。
行き先は、練馬にある牧野記念庭園です。
植物学者、牧野富太郎博士の自宅跡地。こじんまりとした庭園に、小さな展示スペースがあるだけの施設ですが、これが、実にイイ。

↓妻の名を冠したスエコザサに囲まれた博士の像。
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ここは庭園というより、生きた植物のコレクションで、博士が自ら採集してきた植物がみっしりと植わっています。なので、いわゆる庭園としての美しさというより、博士の植物に対する執念や執着、愛着、興味、そんなものが、植物の形をして集積しているような、とても濃密な空間だと思います。

↓季節柄花の少ない庭に咲いていたタイワンホトトギス。
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↓かわいらしい茶の蕾。
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展示室は9月にリニューアルしたばかりということで、新築の匂いがしました。
以前はそのまま屋外においてあった、博士の書斎も、建物の中に収容されています。植物標本と書物に埋まった空間に、何日もこもる事もしょっちゅうだったとか。
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↓博士の名刺。ぐっとくる。
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書斎のそばには、博士在りし日の書斎の様子をリポートした雑誌の記事が掲示してありました。そこには、庭の植物一株一株が、おそらく博士にとっては、それぞれ一冊の本のようなものであったに違いない、と書かれていて、ほぅ、と、感心しました。たしかにそうだったかもしれません。
博士の庭のみならず、世の中のコレクションというものは、すべからく、コレクターにとっての書物だろうと思います。
その本が読めないひとには、単なるがらくたであっても、読める人には格別の価値を持つわけです。

おそらく、牧野博士にとっては、道端に落ちている一枚の木の葉も立派な書物であったに違いありません。そういうものを読めるようになることが、博物学、というか、学問というものなのかもしれんな〜、と、帰りのバスの中で考えました。

家に帰って、カミさんが録っていた「妖怪百物語」をみました。この映画、どこかで、牧野博士の庭に通じるものがあるような気が。
どちらも、何か、ものすごく重要な「基本」について語ってくれていると思います。

良い一日でした。

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2011年10月17日 (月)

帰郷/震災半年後の宮古市

9月の連休に、わずかでしたが、帰省してきました。
東日本大震災で壊滅的被害を受けた、岩手県宮古市の鍬ケ崎地区です。

5月に帰ったときには、まだ瓦礫の山でしたが、今回はかなり片付いて、建物の基礎を残してほぼ更地になっていました。
前回は「壊れた」という印象でしたが、今回は「無くなった」という感じですね。

一応道路はあるので、地形は認識できるんですが、もう、どこがどの町だったやら、故郷を離れてずいぶん立つ頭にとっては、よくわからない状況です。もうスケール感も方向感覚もかなりあやしい。あ〜あ、という感じ、ずいぶん大きな空き地になっています。

更地の中に、真新しいバス停が、以前の地名でぽつんと立っているのが印象的でした。「前須賀」のバス停は、30年以上も前に故郷を出てから、帰省する折に利用したバス停です。
もとあった家の庭に植わっていたんでしょうか、それとも、家を流された方がせめてもの賑わいに丹精したのかもしれませんが、コスモスやひまわりが咲いています。あとは、セイタカアワダチソウなど、雑草がボサボサはえています。
津波の海水につかって茶色く枯れていた杉や松も、木によってはまだらに緑の葉が再生してきていました。
ウミネコは子育てが一段落、雀も大群になっています。植物や昆虫や鳥は、復旧モード全開です。

しかし、これからどうするんだろう。
地元の貴重なリアル情報源である「漁師の徒然なるブログ」(鍬ケ崎の漁師さんのブログ)によると、地元に復興計画が説明されたようです。いくつかパターンが提示されていて、基本は高台を造成して移り住むという事、その度合によって、今の被災した地域をどれぐらい活用すか、というパターンがいくつか示されたようです。
しかしながら、その財源がどこにあるのか、どれぐらい時間がかかるものなのか、どうなんだろう。実際問題、土地もろくにないし、どうやって高台移転すんだべねえ、という...。

この地域の人口の年齢構成はよくわかりませんが、実感としては、かなりの割合で高齢者だと思います。震災後に連絡がとれた地元の幼なじみともメールで話したのですが、もともと高齢化していて地域としての限界が近づいていたところに、震災がとどめをさした、といった印象があります。
仮に復興に10年かかったとしたら、ほとんどの高齢者はもう間に合わない...。

今生きている人の幸せを考えるなら、時間がかかる理想的な復興計画よりも、とりあえず、最低限の防災措置(避難ビルなど)を講じながら、元の場所に安い住宅を建てて戻って暮らしてもらい、数十年の長期スパンで高台に移住する街づくりを進めるほうがいいんじゃないか、と思ったりします。
確かに、被災地域に住民を戻らせる、そんな計画を立てたら、ご時世的には「人命を軽視している」とも受け取られかねないですが、高齢者があと10年か20年、ゆったり暮らせる方が、完璧で立派な復興計画よりも大切なんじゃないかとも思います。

宮古市は、三陸の漁業基地の1つなので、産業としての漁業は早急に復旧せざるをないし、事実、製氷工場ができていたり、復興がスピードアップしているようです。でも、それは産業としての復興で、いままであった漁師町というのとは意味が違います。工業団地の漁業版みたいなものでしょう。産業の復興と暮らしの復興は関連しているけれど、別々でもある。この辺も難しいところではありますね。

仕事(産業)・コミュニティ(暮らし)という事がこういう田舎であるればあるだけ密接に組み合わさっていて、分離することが難しい。分離したとたんに、もうもとの状態にはもどれない。環境破壊と保護の関係にもにていて複雑で微妙です。
東京の人工的な環境で暮らす「暮らし」と、田舎の自然や一次産業と一体となった「暮らし」は、状態も、意味も、なにもかも違うと思います。

鍬ケ崎をぐるっと回って、夜、宮古駅についたら、お祭りで、地元の山口太鼓の山車がでていました。太鼓はいいね、太鼓はいいよ、なんかざわついた心が静まるよ。

宮古市は、合併で内陸の地区と合わさり、僕が住んでいた頃よりかなり大きな市になりました。今回の震災では沿岸部は被害甚大でしたが、そのかわり無事な内陸が自治を代行したりかなり助かったということです。自治体にとってはこういう、地形や環境の多様化も大切なのかもしれません。

5月に帰った時の記事はコチラ。

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2011年8月13日 (土)

Blender 2.5

しかしまたもや、猛暑猛湿、体がもたない...。

あまりの特殊なオペレーションゆえ、大変な苦労をして覚えたBlender2.49でしたが、新しい2.5もα版が出たし、全面的に乗り換えました。

大幅に改訂されたインターフェイス..うーんせっかく覚えたのにな~...とちょっとがっくり来たのですが、新バージョンを使い続けるうち、以前のオペレーションのあれこれは、すっかり忘れてしまいました。やはり、頭と体にムリを強いる事柄は、忘れやすいです(笑)。

全面改訂と言っていいBlender2.5ですが、一応、データの下位互換は保たれていて、モデリングはほぼ問題なく移行できます。ただ、テクスチャが一部消えてしまったりするケースがありました。Hairは、nomalの設定が崩れて、ほぼなんだか訳のわからない事になってしまいました。ボーンやアニメーションについては、そもそも使ってないので、よくわかりませんが...。
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嬉しいのは、レイトレーシングのレンダリングが、かなり速くなったというところ。体感速度で、ヘタをすると2倍以上、という気がします。

色々作ってみていますが、コレは、前に作ったキンバエ(2.5のβ版で作ったもの)を改造してみた、ミツバチです。種類までは意識してませんでしたが、胴の縞の入り方はセイヨウミツバチっぽいですね。

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まあ、夏ですので、タチアオイの花も作り、ホバリングさせてみました。
植物も研究中ですが、花びらや葉の厚みの表現が難しいですね。モデリングというより質感の表現なのかなあ。
若干、被写界深度もいじってみました。
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Blender2.5、触れ込みの通り、前のバージョンでは「建て増し旅館」のようになっていたインターフェイスが、再設計されて、ずいぶんわかりやすくなりました。
2.4*以前のショートカットもほぼ生きていたり、なくなったものもカスタマイズで復活できたりするので、前のバージョンからの乗り換えも(見た目以上に)ハードルは低いと思います。
僕は生物CGイラスト以外に、仕事のごく簡単な図解CGアニメーションとか、CGデザイナーに渡す絵コンテ、ビデオコンテに活用しています。
専業ディレクターにとってはCGはほぼブラックボックスなんですが、こういうソフトをいじっおくと、ちょっと「ヤツらの秘密」が解明されるかもしれません。なにしろ、無料だし、あらゆるOSにインストールできるし。事務所のWin機での作業の続きを自宅のMacで、というような事も、全く問題ありません。

なにより、普段主に時間軸と格闘しているディレクターにとって、形と空間を紐解くCGは良いアタマの体操になります。ボケ防止にも効果ありかも。

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2011年7月28日 (木)

科学技術

なんかこのところ、梅雨時よりも梅雨っぽい。
今日は一日家でオフライン編集してました。作業中となりの部屋で猫がニャーニャーなくので、何かと思ったら、「寝言」でした。どんな夢みてたんだか。
近所でやっとこさ、ミンミンゼミがちょっと鳴き始めましたが、気温があがらないせいかすぐに泣き止んでしまいます。

さて、中国で、ご自慢の高速鉄道が大惨事になりまして、さらにおどろくべきことに、事故車両をその場に埋めてしまう、という、暴挙が行われました。まるで猫の排泄行動です...。まあ、非難に対応してすぐに掘り出したのは人間ならではですが。
これを見て、いや、似てるなあ、と。何にというと、日本の原発事故に。
国主導でガリガリすすめて、事故が起こると真実をあいまいに、隠してしまおう、何もなかったかのように、少なくとも軽微な事故であったかのようにふるまおうとする...さらに、その技術を輸出して大儲けしようとするあたりも。裏でうごめく心理がそっくり。

鉄道網とか発電所とか、巨大なテクノロジーは、制御できなくなったとたんに大きな災厄を生んでしまいます。
そういう技術には「謙虚さを失ったとたんに崩壊する」という純粋に精神論に支配されたレイヤーが確かにあるんじゃないでしょうか。
人間は間違える動物で、脳が複雑なぶん、人間以外の動物よりもはるかに間違えやすい動物だと思います。よっぽど注意していてもやっぱり間違える。
だから巨大で事故によって破局的な事態を招くようなシステムはやっぱり危険で、それを運用するためには、技術の確立のほかに、なんというか、人間の知恵を向上させる必要があるんじゃないでしょうか。未熟な倫理と道徳で、高度な技術は扱ってはいけない、という。

それで思うのは、原発をちゃんと使えない人類が、遺伝子操作とか、宇宙開発とかやってて大丈夫なんだろうか、という事です。
科学技術というものをどう取り扱ったらいいのか、きちんとその精神、みたいなものを考えぬき、ある種「人類の総意」としての結論を持った状態じゃないと手をだしてはいけないんじゃないか、そういう領域があるんじゃないか、と思います。

巨大かつ危険な技術には、利権もまた生まれやすいので、ますます、倫理と道徳の領域が重要になる、という気がします。

ーーー
素朴なギモンなんですが、放射性物質に汚染された稲わらを食べていたのは、肉牛だけじゃないはずですよね、乳牛も...。牛乳は?どうなってるんでしょう?
原乳の段階で放射能汚染されていない牛乳と混ざってしまうので、薄まる...ということなんでしょうか。

これからは、全ての食料品店に測定器を配り、検査と表示を義務付けるべきだと思いますね。
仕入れの時に、放射線量と価格とを計りにかけ、売値も決める。消費者は、放射線量と価格、誰が食べるのか、食べさせるのかを判断して買う。
もうそういう時代になったんだと思います。
僕らはもうじじいに片足つっこんでいるんで、気楽なほうですが、若者、子育て世代には深刻な問題です。

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2011年7月26日 (火)

この土日/不滅のシンボル鳳凰と獅子/人生に乾杯!

このところ、休日も引越しや仕事でバタバタしていていたんですが、この土日は久々に休日らしい日を過ごしました。

土曜日は、以前カミさんが懸賞であてたチケット、サントリー美術館の「不滅のシンボル 鳳凰と獅子」が、あれ、今月24日までじゃん、という事になり、急遽かけつけたのです。
なにせ、六本木、東京ミッドタウンですよ。板橋の田舎者としては若干緊張、最近着ていなかった赤地に牡丹柄のアロハを着込んでテレテレと出かけました。
展示、おもしろかったです。鳳凰と獅子、もう日本人にとっては空気のようなこれらのキャラをあらためてみてみるという体験は実に新鮮。企画が立ってますね。
猫好きとしては、やはりどうしても獅子の方に目が行ってしまいます。獅子は、もともとライオンを原型としながら狛犬と合体したり、釈迦を守ったり、といろいろ変遷しているようですが、日本では、なんだかめでたくて花があるキャラクターとして獅子舞などで活躍。着ていったアロハシャツの柄とも呼応しつつ、楽しい時間を過ごしました。歌舞伎ではボタンを咥えて舞い踊るというのが定番。
獅子舞のしぐさをみてもそうですが、日本では、獅子がライオンから、次第に猫化する=盆栽化する感じがあっておもしろい。展覧会は獅子だけで押してもよかったのかも、と思いました。
鳳凰は、原型がない分、想像上の縁起物にとどまって今ひとつ感慨が薄かったですね。それでも、若冲の描いた鳳凰の奇っ怪な姿や、江戸後期の鳳凰柄の銀器の繊細さはすごい手技でした。帰りに、あれ、そういえば、空の大怪獣ラドンって、鳳凰が原型?と思ったのですが、調べてみると鳳凰ではなく、実在した翼竜プテ「ラ」ノ「ドン」のラドンのようです。残念。

で、翌日日曜日は、まぁ、色々やることはあるものの、昼間からだらだらするか、久々に、ということで、昼から安ワインをあけて映画鑑賞でした。ものは、CSの録画で、「人生に乾杯

いやあ、面白かった、そしてうまい。
ハンガリーの映画です。こまごました伏線が実に生き生きと機能していて、本当に楽しい。遠い伏線も近い伏線も、きっちり役割を演じているし、そもそもそのストーリーの本線がぶっとく、たくましい。
簡単に言えば、金に困った老夫婦が銀行強盗を働き、でも楽しそうで、ハッピーエンド、という、ひねくれていつつ、正統派な、上手い=旨い映画でした。主役が老夫婦なのに、これは正真正銘の青春映画です。
時代状況からいって、日本でも、こういう、「老人ノワール」的な映画やドラマが作られていいいタイミングに来ていると思います。
老人は、長い時間を生きていて、どんなスキルを持っていても不思議じゃないわけで、スーパーマンを演じてなんの矛盾もないのが老人です。
このあたりに、今後のコンテンツの鉱脈があるのではないかとおもうんです。

以前から、思春期の反転した状態として老齢期、というイメージが僕にはあって、60過ぎたらもうそれ、15才に戻るんじゃないか、みたいな。
本物のパンクはジジイが体現するんじゃないか。
年金ゲットしながら、暴走パンク爺、といったあたりが理想形としてはある。うーむ。その辺が内田百間(実は門構えに月)先生に通じるのだな〜。

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2011年7月21日 (木)

その上、事務所も再起動。

今回も五月雨式のエントリなんですが。

●事務所も引越し
6月に自宅のリサイズ引越しをしたわけですが、今月、事務所も同様の引越しをしています。
まあ、この状況の中では、少しでも固定費を下げなければいけませんからね。
場所は、現在の事務所から、歩いて5分のマンションです(自宅の時と同じだ)。
今度の事務所は、巨大マンションの9階のワンルーム。風通しは抜群です。
一時は引き払って完全バーチャルオフィス化することも検討したんですが、うちの場合、自主制作販売のDVD在庫もあるし、せめてちょっとした打ち合わせはできないとプロダクションの存在意義としてどうなのよ、というのもあって超安い物件に移ることにしたわけです。
多分、電気料金なども安くできるでしょうし、状況がよくなるまでは、ひたすらシュリンク作戦です。

なにしろ空間が狭いので、僕は基本的には自宅で仕事、土田Pが常駐するカタチで、制作仕事はネットと宅配デリバリーを活用する方向で。
マンション管理人のおじさんが、話好きファンキーで、おもしろい。
こちらも、色々リセットしてしゃきっと行きたいものです。

●肩も...
で、最近、ちょっと根を詰めた編集作業を行った結果、いわゆる「マウス肩」が再発。右肩がイタイんですね。肩甲骨の内側がきりきりと痛みます。
こういう時には、フェルビナクが効きます。いつもはフェイタスのゲルなんですが、近所の薬局になかったので、メンソレータムのフェルビナク配合ゲルを購入して塗りたくっています。
薬局の人に聞くと、一時一世を風靡したインドメタシンは、もう世の中の人々に耐性(?なのかな)が出来てしまい、あまり体が反応しないんだそうです。今のトレンドはフェルビナクなんだそうで、ということは、これも、しばらくすると効かなくなるということか。
右の肩甲骨の痛みは、肝臓が疲れている、という情報もあって、うーむ、むべなるかな...。
ネットのブラウズなんかは、右肩をいたわって左手マウスでやってるんですが、どうしてもFCPやBLENDERのオペレーションは右手という事になってしまいます。
椅子とか机の高さなんかの関係もあるかもしれませんが。
この肩こり的症状のメカニズムは結構複雑らしいですね。肩甲骨と肩の周りには色んな筋肉が集中しているという話。大きくいうと、人類の直立と二足歩行の代償のひとつがこの肩こりなんだとか。やっかいです。

●震災と原発...
震災ショックも、引越しやら仕事やらでバタバタしているうちに、やっと気分的には少し収まってきました。
世の中的にも、平時になりつつある感じがします。
しかしながら、震災でかなり大きなものが純粋に物理的に失われてしまい、東北にはまだまだ復興の勢いは乏しく、しかも、メルトダウンした原子炉がすぐそばに3基もあるという異常事態はまだ収束もせずにそこにあるわけで。こんな状態が日常になりつつある、我が国...。もう、今までの続きはやめて、色々新しくする必要があると思いますね。

ちょっと呆れるのは、与謝野大臣をはじめとする原発推進派の主張です。
「この豊かな社会を維持するためには原発が必要」
「原発なくしては産業はなりたたない」
というものですが、どうかなっちゃってますね、アタマが。病気という他はありません。
貧しくても、産業が衰退して3流国になりさがろうとも、死ぬよりましなのは明らかです。
豊かな社会も、産業も、健康と安全があっての話でしょう。
人命より大事なものがあるわけない。
結局、僕ら世代を含めた年寄りどもが、高度経済成長やバブル期の成功体験を反芻しているだけなんです。愚かという他ありません。
今、日本人は「一番いい物を選ぼう」、というような恵まれた状態にはありません。存亡をかけて少しでも「マシなもの」を選ぶ事が必要なのではないか、と思います。それが原発再稼働ではありえません。

それにしても、放射性セシウム牛肉は、市場に出回っているし、すべてが後手後手な原発事故対策には、国の指導も、もうあまり期待はもてません。今回牛肉で起こったことは、そのうち、海産物でも起こってくるし、あらゆる食品が放射性物質で汚染されているという環境にくらさなければならなくなりました。
起こってしまった事を受け入れて、放射能込みの生活をしていくしか無いんだと思います。日本は発ガン率の高い国になった...数年後から始まる事態に、本当は、政府も東電もビクビクしているのではないでしょうか。
これは、電力どうのこうのではなくて、放射能を生活圏に認めるかどうかという問題で、もう選択肢は「認める」しかありません。なぜなら、ふくいちから大量放出されて、今ここにあるからです。せめてこれ以上悪化する事態は避けるべきで、原発は今すぐ全部止めるべきでしょう。

この状況で「原発事故収束のSTEP1、がっちり終了」と胸を張られても、「はぁ〜?」としか思えませんしね、普通。ちょっとムリなんじゃない?この工程表...という予想通りの結果になっているとしか見えませんが...。

あと、野生動物の被爆調査もぼちぼち行われるようですが、人がコントロールできない野生動物の移動、捕食、によって広がっていく放射能、というものがあるのではないかと思うんです。
今回の東電福島の原発事故が生態系に及ぼした影響はどのようなものなのでしょうか...。非常に気になります。来年の春、福島でどんな形の桜が咲くのか...。

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2011年7月 2日 (土)

続・引越しをしたわけなんです。

宅の猫の一匹が結構自己主張がはげしいやつでして、それはまあ、いいんですが、困ったことに、その手段が「尿」なんです...(ま、猫的にはスタンダートな手法ですが)。「ここ」と思ったところに自分のシッコを塗布して、所有権をいち早く主張したい...うーむ。この自己主張ポイントが、ダンボールで混沌としている新宅で二箇所発覚しまして、カミさんがむきーってなっています。
引越し、猫がからむと余計大変ですね...。
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引越しは、自分の過去とどうしても対面せざるをえない局面があります。溜め込んでいた仕事上の書類を整理しようと思うとどうしても過去の仕事の質を向き合わざるをえなくなる。とはいえ、自己を振り返る、ある種のチャンスでもあるんですが。
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荷物を減らしたいのでなるべく紙類は捨てようとしたのですが、どうもうまくいきません。
その中で、ありったけの資料を捨てられずに残してしまったのが、99年ぐらいに作ったCDROM「人格図鑑」という作品でした。
これは思い出深い作品で、旧知のプロデューサーに誘ってもらって参加したのですが、イラストとアニメーションを担当してもらった親友が、作品の完成をまたずして癌で亡くなってしまったり、その後プロダクションが色々あれこれあったり、現在では、OSの関係で再生すらおぼつかない作品なんですが、やはり色々すてられない。ターゲットのOSはWINは98、MacはOS8です。
内容は、人間の人格の特性を分析するソフトで、人格の分類に関する様々な理論と人相学を組み合わせた人格判定アルゴリズムを開発、自分や他人の人格を判定することができます。その上、判定した人格に対して様々なストレスを与えて弱点を研究したり、それらを人格標本として収集したりできる、という、ものでした。
押すと割れてしまうボタンとか、ストレスカプセルを使って実験するフランケンシュテイン的な実験室とか、意地の悪いひねくれたコピーワークとか、ある種時代を感じさせる作品です。
今ちょっと思っているのは、この作品と似たような企画を、スマートフォン用のアプリにできないかな、という事です。今や再生不可能なソフトなんですが、なんとか古いOSを見つけてプレイして企画を練りたいな〜と思っています。
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あと、すっかり忘れていたのですが、だいぶ前、タモリの「世にも奇妙な物語」絶頂期の頃、短編の「ちょっと怖い話」のブームみたいな時期があって、某テレビ局から言われて短編ドラマのシノプシスを書いた事があったんですが、それが出てきて、読んでみたら割とおもしろかった。
4編ほどあって、その中の1編はシナリオまでこぎつけたんですが、結局、予算の関係やなにやかやでボツになりました(一応、多少のギャラはもらえたはず)。話は、ひきこもりの子供たちが、ある日突然テレパシーでお互い会話できるようになる、というアイディアが中心で、やがて現実がいやになった子供たちが次々に「あっちの世界」へ消えて去っていく、というお話。数回書きなおした改稿の足跡をたどると、初稿のわけのわからない面白さが、だんだんまっとうな、親子の断絶、みたいなわかりやすい話になり、退屈になっていく過程がよくわかりました。ちょっと、遊びで小説化してみようかな、と思っているしだい。
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しかし、大好きなペンタックス、波乱の道筋を歩んでいますね。
HOYAからリコーへ。
ペンタックス、大好きなので、なんとか生き残って欲しい!
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しかし、ほんとは、ぼちぼち、色々物議を醸し出している、アップルのあの編集ソフトについて語らねば、と思っているのですが、引越しの金欠でまだ、インストールできてないのです。
もっぱら「どうも使えん」という評判が聞こえてきますが、いやいや、実はそこそこ良いんですよ、という記事が書きたいな〜とおもっているのですが...果たして...。

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2011年6月28日 (火)

引越しをしたわけなんです。

ええと、6月は引越しをしていました。
まあ、景気もこの通りですし、震災もあり、ちょっと色々リサイズせねば、というわけで、12年住んだ借家を引き払って、ご近所のマンションへ。
久しぶりの引越しでしたが、大変でした。こんなに大変だとはな〜。
前の家に住むまでは、数年おきに引越しを繰り返していたので、まあ、いつもの事よ、みたいな感じもあったんですが、ひいひい言ってしまいました。

前住んでいたのが小さな一軒家なので、結構無駄なスペースが多くて、それがそのまま収納スペースになっていたわけです。
僕の仕事部屋は三畳間でしたが、造り付けの棚もあったり、出窓があったりして、そういう所にたまっていたものを引っ張り出してダンボールに詰めてみると、あれ?!というほどの物量になります。箱に詰めて行きながら、こいつらひょっとして「今発生」してるんじゃないか?という不条理な感覚に捕らわれながら荷造りをしたのであります。

で、昨日、旧宅を不動産屋に引き渡してめでたく引越し終了となりました。

新居は、旧宅から歩いて5分ぐらいのところなんです。
で、へえ、と思ったのは、ちょっと住まいが動いただけなのに、使う道が違ってしまったり、今まで距離としては近かったのに使ってなかった店がなんか身近になったり、色んなことが大きく変化してしまいます。
街の再開発とか、震災後の街づくりとか、人が住む事を取り扱う分野では、結構繊細な設計が必要なんだな、と思います。人間の「生態」みたいなものが重要で、それは、居住場所が何百メールトル動くだけで行動ががらっとかわってしまうことがある。
ひょっとして、旭山動物園を皮切りにはじまった動物園の「生態展示」というのが、実は人がすまう都市計画にも重要な概念を提供してくれているのではないか、な〜、など、思ったり。
街を機能として分析したり構築するだけじゃなく、人間が住む環境として見て、その中でヒトはどう動きたがるのか、動いてしまうのか、みたいな研究。まあ、もう行われているだとは思いますが。

それと、気づくのは、貯めこんである様々なメディア、CDとか本とかDVDですが、場所を動かして収納場所を変えるとまた違った価値をもつような気がします。
まあ、いらない本などはバンバン捨てたので、その分、自分にとっての「価値の濃度」は高まっているにはいるんですが、それでも、なんか境界線上にあって単になんとなく捨てられなかった本とか、意外に重要な気がしてきたり。
書店や図書館、CDショップで起こるようなマジックが自宅でも起こるんですね。

猫どもも、引越し当日はあまりの環境の変化にあたふたしていたんですが、2、3日過ぎるとそれぞれにエンジョイし始めました。
ダンボール塔でくつろぐ宅の猫。

Imgp0324

今はダンボール箱が山積みでアドベンチャー感覚満載ですが、そのうち片付くと猫にとっては、退屈な日々がまっているのだ...空間が狭くなったから、その分のケアも考えないとな〜。
引越しは「瞬間」ではなく、面であって、しかも継続すると、という事。しばらく忘れていましたわ。

まあ、色々リセットして心機一転、しゃきっとしたいと思います。

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2011年5月18日 (水)

DVD:「ビデオ取材の基礎 完全マスターガイド」 発売!

ほんっとに久しぶりに仕事関係のエントリです。

昨年の夏から準備を進め、震災直後に完成したDVDが発売になりました。

タイトルは...

「ビデオ取材の基礎 完全マスターガイド」

カメラマンをはじめ、ビデオの撮影スタッフに求められる基本的な技術を解説したDVDです。
対象としては、技術会社の新人教育やスタッフの基礎力再確認、あと映像関係の学校やゼミの教材、または映像業界を目指す学生さんや、スチール出身でこれからビデオも始めよう、といった周辺分野から映像業界を目指す方です。

イメージメカニック.LLPで企画し、映像業界誌の「ビデオα(写真工業出版社)」さん、NHKへの技術協力を行う「映像工房 魁」さんと協業してリリースしました。
発売は、ビデオαの写真工業出版さんです。

ご購入はこちら。

写真工業出版さんの通販サイトです。

ぜひ、ご検討いただければ!

このDVDでは、ビデオ取材に関する「キホン」を解説しています。
大きな特徴は、撮影だけではなく、ライティングの基礎や音声収録の基礎もあわせて解説している点です。最近はVEさんもカメラを回したり、音声とライトを兼ねて仕事したり、という現場のシュリンクというか専門分野の融合(?)が起こっていますので、単に「カメラマン入門」では意味がないだろう、という考えで作りました。
このDVD一枚で、撮影・照明・音声といった「ビデオ取材の技術あれこれ」ひととおり知ることができます。
特に照明の部分はずいぶん参考になる方もいると思います。

総合監修は、元NHKのエグゼクティブカメラマンの齋藤氏。キャリア40年の現役カメラマンです。
齋藤さんとは、十年近く前に一度仕事をご一緒させていただいて、今回、久々に再会となりました。
照明監修は齋藤さんの仕事仲間の関口技師。
お二人とも実に「現場の人」で、まさにに現場主義の実用的なノウハウを色々提供していただきました。

これを企画した背景ですが、ちょうどそのころ、現場でつまらないトラブルが続いたんです。
技術会社に発注しての撮影でしたが、ほんとにつまらないことで、レンズが引きボケしているのに気づかずに収録してしまって編集しようとしたらピンぼけだった、カメラマイクが生きていなくてノイズが録れてなかったり、ワイドコンバーターの径があわなくてどたばたしたり、など。
で、昔もこうだったかな~、と思ったわけです。もっとスタッフってしっかりしてたよな、と。基礎的な事がちゃんと教育できてないんじゃないかな~、と思っていたわけでした。
と、そのやさき、監修の齋藤さんがビデオαに書いた記事を読んだんです。それは、まさしく今回のDVDの狙いそのものの記事でした。
技術革新が進んで、ファイルベースの収録スタイルも定着してきた現在、ますますキホンの重要性が増している、といった内容だったんですが、それを読んで、「これだ!」と思ったわけです。

で、そのまま齋藤さんに企画を持って行き、ビデオαさんにも乗ってもらい、この企画が実現しました。
技術と監修が魁さん、制作まわり一式がイメージメカニック、販促販売が写真工業出版さんという事で、お互い専門分野のリソースを出し合って協業する、という実験的なスタイルを試しています。

収録+出演してくれた映像工房魁のみなさん、ありがとう。みなさん、震災絡みの取材に出てしまったりして打ち上げもできていませんが、この場をかりてお礼をば。

コチラ、PVです。


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2011年5月13日 (金)

いまさらながら帰郷/震災後二ヶ月の宮古市

震災から二ヶ月経って、ようやく実家のあった岩手県宮古市に帰省してきました。
出身地の鍬ケ崎地区は、大津波で、まったく、すっかりやられています。
タクシーの運転手さんに「鍬ケ崎の様子はどうですか?」と聞くと「あー、なくなってるね」と。

駅前は、お店も開いていて、一応普通の生活が営まれていますが、沿岸部に向かってあるいていくと、じわじわと一階が崩れていたり穴があいたり、「解体OK」とスプレーされた建物が増え始め、港が見えるあたりにくると、見渡すかぎり瓦礫です。
最初はもっと混沌としていたらしいですが、今は、道路の確保のために瓦礫をあちこちに寄せて集積させています。地元の人いわく「だいぶ片付いてきた」状態ですが、初めて目にする印象としては「瓦礫だらけ」です。
うちは、身内一同、無事だったのですが、生きていたのが奇跡!ぐらいのひどいありさまでした。
季節はちょうど桜が終わった頃、ウグイスがさかんにいい声を聞かせていました。音だけならのどかな春なのですが。

ビデオも回してきたので、動画のリポート、貼っておきます。

道路は確保されているんですが、建物が無くなって向こう側が見渡せるので、歩いていると遠近感がおかしくなってきます。今歩いている場所のかつての記憶と、今見えているものの対応がおかしくなって、ちょっとふらついてしまう。

実際に被災状況を見る前は、被災状況を目の当たりにしたら、色々な事を思うのだろうなと思っていましたが、いざ、目の前にすると、ほとんど感想が浮かびません。
「こんな無茶な事が起こってしまったのか...」単純にそれだけでした。
実際には、多くの人が流されています。震災翌日ぐらいに地元のテレビの報道をネットで見たら「宮古湾に無数の遺体が浮いている」という情報もありました。ご冥福をお祈りします...。宮古の遺体がとんでもなく遠くの海でみつかったりしているという事です。津波は壊すだけじゃなくて、持ってく...。

沿岸部にすむ人間にとっては津波は宿命で、なので、津波を織り込んで暮らしを営んでいます。
「揺れたら上へ、逃げたら戻るな」
実家の裏のおばあさんは地震で逃げて、何か大切なものをいったん取りに戻ってそこで波にのまれたそうです。
母は「昔から逃げたらもどるなといわれているのに...」と残念そうでした。

母の意見「この震災は、自然を好き放題に使ってきた人間に対する報いだ」
地元タクシー運転手さん「まるで夢でもみてるみたいだ」
居酒屋のおかみさん「めかぶ(宮古の名産)も今は三重県産のだよ」
高台に住む叔母さん「地震があって、いつまでたっても防災無線も何もなくて夜は真っ暗になって死の世界のようだった。あとで聞いたら市役所が津波でやられていた」

しかし、この瓦礫が無くなってすっきりしないうちは、物理的にも、精神的にも、始まりはこないのかもな、と思いました。今後どうなっていくのでしょう。

しばらくしたらまた行って、様子をみてこようと思っています。

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2011年4月24日 (日)

オオカマキリ(CG)

とはいいつつ、いつもの行動もしていこうという事で...。
震災の頃に作っていた、オオカマキリ(メス)のCGです。

Kamakiri_2pose_02

子供の頃、好きだった昆虫のナンバーワンは、カブトムシでもなく、クワガタでもなく、カマキリでした。
カマキリは、「手」があって「首がよく回る」というあたりが、何か宇宙人的な魅力を醸し出しています。昆虫の中でも、擬人化しやすいタイプだと思います。

今住んでいる東京都板橋区でも、カマキリは良く見かけます。庭先にいつのまにか子カマキリが住み着いていたり、近隣にぽつぽつ残っている畑の生垣でゆらゆらしていたり、姿をみかけると、ああ、夏だ、という感じがしますね。
まだ羽の生えていない幼虫でも、ちょかいだすと、おもいっきり威嚇行動をとってきて「うぉっ」となります。

なんか「人」に似ている理由のひとつが、複眼の中にぽつんと瞳のような点がある事です。しかもいつも「コチラヲ見テイル」ような気がします。
これは偽瞳孔(ぎどうこう)という言うもので、角度によって複眼の一部に光を反射しないポイントができるために現れるのだそうです。
本カマキリとしては、実際にはほぼ前周囲監視をしているはず。

CG的に難しかったのは、後翅の質感かなあ。
ざららしているのに、透明感もあり、ツヤもあるようでないようで、というのが。プロジェクトファイルの質感設定を見ても、何をどうやったのやら、今となってはよくわからない...。なんか色々やったような気がします(笑)。

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2011年4月22日 (金)

このところの心境ですが

震災からもう40日以上が過ぎて、もうそろそろ元にもどらないと、と思う反面、すっかりスイッチが切り替わってしまって、時間の感覚もなんだか変わってしまいました。
まわりにも、そういう人間が何人もいて、今回の大震災の影響の大きさを実感します。
最近仕事をご一緒している、某社Sプロデューサーが「プチPTSD状態」と言っていましたが、まさにそんな感じです。

大津波で、東北の太平洋岸が壊滅してしまった大規模災害が起きて、しかも身内が被災しているという事もあり、同時に世界的にも類をみないほど酷い原発事故が起こり、さらに、それらを収拾すべき政治がちっとも機能しない巨大な人災が見えはじめていまして、それらの災厄が相乗的に働いて、この国がほんとうにまずいスパイラルに入っていくのかも、と思います。

大津波だけでも本当に酷いのに、原発事故はさらに悲惨な状況を作り出しています。
レベル7だけどチェルノブイリの1/10、なんて安全委員会もマスコミも言ってますが、スリーマイル島事故比でいえば11万倍です。しかも原発3基も壊れています。
さらに、その評価の中には、海洋に流れ出たり放出した分はまったく勘定されてはいないし、事故はまだ現在進行形ですから、トータルでチェルノブイリ並かそれ以上になる可能性は否定できません。

三陸の漁業がやっとこ復活できたとしても、採れた魚の放射能汚染ははたして...と思うと心配でなりません...。
海、全部繋がってますから。

原発事故は国のブランドを著しく傷つけますよね。
原発事故がブランディング上意味するのは、日本の技術はおそまつだ、日本に行くと被爆する、日本産の食品を食べるとガンになる、という事です。
事実観光地では(東京でも)それこそ壊滅的な被害を被っているようです。

しばらく、頑張ろうとか、元気をだそうとか、大丈夫だとか、そういう言葉を発するのをやめて、冷静に何が起こっているのか見て考える時間を作るべきなんだろうか...と考えています。
多分、ひと月とかそういう時間ではなく、半年とか1年とか。
これまで、誰も体験したことのない事が進行中なんですから。

おそらくマスコミは、この先急速に平常モードを演出しはじめるでしょう。
が、なにもかも進行形でこの先何年も非常時は続くのだ、とキモに命じておくことにしたいと思います。

あー、また地震だよ。

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2011年4月 7日 (木)

「福島の核」の件ですが

壊滅している福島の第一原発...。

なんか本当にゲンナリした。
ついに、放射線で高濃度に汚染された水(基準値の100~500倍)を海洋に投棄してしまった。
しかもほぼ1万トン。しかもろくな手順も調整もふまずにイキナリ。

それにしても、このレベルの汚染水を「低レベル」と言ってしまうとは....。その基準は東電内の「相対的なもの」だそうです。しかも公共放送であるNHKですら同じ「東電の相対的な基準」を使って報道していますが、どういうつもりなのでしょうか。

もう、日本が環境問題に関して発言する資格は無くなったと思う。すっかり挙動不審な国になってしまいました。
諸外国からは、北朝鮮なみの「わからん国」にみえているのでしょうね。

この件で、全漁連が東電に抗議に行っていますが、全面的に支持します。
さらに、大津波で壊滅的な被害を受けた三陸海岸には言うまでもなく、漁業者が沢山います。避難所に暮らし、瓦礫を前にして、海の放射能汚染(意図的な、しかも突然の)で追い打ちをかけられています。最後の頼みの綱である海にこんなことを無断でされているわけですから、その心中は....。

東電や政府は、海水で拡散するから問題ない、みたいな理屈を平気で言うんですが、むしろ拡散しちゃうから問題なんでしょう?
半減期が長い放射性物質はほぼ永遠に世界の海を漂ってしまうし、それを、生物たちは世界各地でせっせとそれを貯めこんで濃縮していくわけですから、結果的に広範囲な海洋汚染につながるし、中学生が考えても、東電が説明するような単純な影響では収まらないに決まっています。
東電や安全院が説明する「安全です」の理由の中ではそういう生物濃縮がまったく考慮されていないようです。
それにしても「薄まるから大丈夫」とは、なんと昭和でのんきな理屈なんでしょう、恥ずかしくてたまりません。

さらに言うと、事故で出てしまった放射線と、汲み上げてポンプで投棄する放射性物質とでは、「意味」が違います。行った行為やその結果である事象の「意味」を理解することが倫理というものではないでしょうか?

プルトニウムに関しても、量が少ないから、人体に影響ないという理屈なんだけど、人体への影響と、プルトニウムが漏れてしまった事とは問題がまったく別です。
問題なのは、原子力事業者として絶対に漏らしてはならない、プルトニウムが漏れていて環境中から検出されてしまった事です。人体への影響うんぬんは別の機関なりがコメントすべき事で、東電が言うべきスジのものではありません。

マスコミの論調もほとんどが東電の会見の内容にそのまま乗っかっていますね。
裏の利害関係が素直に想像できてしまうんですが。東電のお詫びCMの広告費に対する見返りなんでしょうか。広告効果と言う事でいうと、あのCMは視聴者の神経逆なでしているのですぐにやめたほうがいいと思います。

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情報を総合すると福島第一原発の状態はかなり厳しいようですね。
1号機は、容器の損傷は機密性は一応保たれているようだが、機密性がある分圧力が高く、水が入りにくく冷却が進んでいない。
2号機3号機は圧力容器も格納容器も損傷していて、中の圧力も大気圧と同じ。注水した水はどんどん漏れている。特に2号機は近づくだけでも即死レベルの放射線量があるという情報もあり。
この結末は...?

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岩手県の宮古市で被災した母からの葉書の一文。
「........しかし、色々考えてみるに、最大の問題は福島の核です」

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なんか近々、海外からの東電ないし日本政府を標的にしたサイバーテロが起こるような予感も...。

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大きな危険を回避するために、仕方なく小さな危険をおかすというのも解ります、が、ゲンナリしてしまう最大の理由は、そのやり方の不透明さ、稚拙さ、配慮のなさです。
本当に、恥ずかしい。
現地で日々大量に被爆しながら作業している方々の尊厳も踏みにじられています。

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2011年4月 1日 (金)

近況報告なんです

東北地方の巨大地震と大津波が起こって、もう、20日間もたつんですね。
なんだか時間が止まってしまっていたような感じがします。うわの空でふらふらしていたというか。やっとここにきて、一日のうち大半で「あ、いま普通の気分だ」と思えるようになってきて、ブログを更新できる気持ちになってきました。

うちの田舎が岩手県の宮古市、しかも津波で壊滅した鍬ケ崎地区というところなんです。
海っぱたに兄一家と母が住んでいたので、地震から1週間ぐらいはその安否確認にかかりっきりになってしまいました。
幸い、いろんな偶然や幸運が重なって全員無事でした(犬も)。家はすっかり流されてしまったのですが、命だけはなんとか助かり、ほっとしています。
これからが大変だし、元の生活に近い状態にもどるには長い時間がかかるでしょうが、ともかくあの状況の中で命が助かっただけで、本当に良かった。喜ばしいことだと思います(ここ二三日でやっとそうとらえられるようになりました)。

僕は、無宗教ですが、あの、なんというか「神」といっても差し支えないような存在、というか、現象というか、そういうものはあると思っています。その一端を体験した思いがします。

今回の地震と津波が引き起こしたのは、本当に大惨事です。大抵の場合、大惨事、という言い回しには多少比喩的な感じがあるとも思うのですが、今回の震災は真性の大惨事です。あるいは大惨事という言葉では言い表せないほどの惨事。
生まれ育った地域も、すっかり更地になってしまいました。
震災直後、よくテレビで、ちょうど実家のあった周辺が津波に流されていく様子が写っていて、見るたびに口が半分開き、呆然としてしまいました。波、というよりとにかく膨大な量の海水が、ただ黙々と集落を飲み込んでいく様子が本当に恐ろしい。それなのにウミネコたちの群れはいつもの鳴き声で空を飛び回っていて、残酷さをいっそう際立たせていました。
しかも、ほぼ同じような事態が、三陸の沿岸一体を飲み込んだわけで、その被災規模は想像を絶します。
おそらく、人知れず全滅してしまった小さな集落が沢山あるんじゃないか...。
うちの親族は、良いほうなのです、そうなんです、良いほうなんです。良かった、以外に言いようがないんです。

地元の被災された漁師さんが日々更新しているブログ。リアルな地元の様子です。

漁師の徒然なるブログ

ここに登場している、鍬ケ崎・山根町というのが僕の実家です...。

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今回の震災は、東北だけの問題ではなく、日本全体の問題だ、と言われます。
これにはもちろん、大津波や原発事故で被災した東北を全力で支援しよう、という意味もありますが、日本全体が被災者になってしまった、という意味でもあると思います。
日本全体のスイッチが別の世界に切り替わったんじゃないか...原発事故含めて。
なので、ここしばらくは、どんなスイッチが働いたのか、注意深く見て、よく考える必要があると思っています、被災の当事者の感覚で。

しかし、困ったなあ、原発。
日本は、大怪我をしたあげく、傷が膿んでしまった、けど、抗生物質なし、というような状態。
自然災害である地震と津波は、しかたない、自然がそうしたんだから、しょうがない、みんなで力を合わせよう、と思えますが、原発は別です。これから当面悪化していくしかないわけで。一応の収束を見たとしても、それは、さしあたって悪化の速度が弱まったという事でしかない。
そのあとは、自然治癒していくのを数十年単位で見守るしかないわけで。放射性物質が相手ですからね。

だから、ムリなんだよ、原子力の平和利用なんて。

東電会長も、これだけひどい状況になっているのに「小康状態を保っている」などと寝ぼけているし、もう、こんな不誠実な感覚であのアブナイものを動かしていたのかも思うと、もう慄然とする。
ただでさえ狭い国土を「傷もの」にした、政府と東電の罪は深い。どう償ってもらっても償いきれないと思います。
原子力発電の大きなメリット「環境にやさしい電気です」って...どこが?

原子力は、マッドサイエンスだった、もうしません、反省します、とならないといけないと思います。

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ちょっと、今日は、この辺で限界ですが...。
もう、一ヶ月以上ほっぽらかしにしてしまったので、今後は通常営業程度には更新して行きたいと思っております。
どうか、これに懲りずにまた、お立ち寄りください。

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2011年2月20日 (日)

キンバエ(CG)

ありふれた生き物をきちんとCGで作れるようになりたいプロジェクトなんですが、ハエです。キンバエ、学名 Lucilia caesar、読みは、うーむ、ルシリア・カエサル?でいいか?

Kinbae_12

体がエメラルドグリーンに光るのは、光の干渉によって発色する、構造色と言われるもので、タマムシとかモルフォチョウなんかも同じ原理で輝きます。
キンバエもごくありふれた昆虫だなあ、と思うのですが、身近にいたのは実は田舎に住んでいた子供の頃かもしれません。林の中に落ちている犬のう◯ちに上機嫌でとまっているイメージですね。
ハエは、肢でも味覚を感じているという事です。それってどういう感覚なのか...食べ物の上に止まると、6本の肢が味覚を感じている...なんだかめくるめく、官能的な生活だなあ。

しかし、ハチやトンボもそうですが、ハエもよく出来たロボットという感じがしますね。体のバランスのまとまりというか、きゅっと凝縮された、しかも機能的な感じがいいですね。
昆虫CGはちょっとクセになりそうな気がしてきました。
一応、眼には複眼の凹凸をマッピングしてあるんですが、もう少し強調してもよかったかも。
左側の飛んでいる方の肢の折り畳み方はちょっと自信がありません。

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2011年2月13日 (日)

コミュニケーション(シンクロ)

仕事仲間で飲み友達の大森さんがやっているブログ「心と社会」で、このところ展開されているのが、ネットを介したコミュニケーションについてなんですが、それを読みながらなんとなく触発されて、考えた事。

あるメッセージが相手に向かって発せられて、それを受け取った相手がそれを理解して、何か行動なりメッセージなりを返す、というのがコミュニケーションの1ユニットだと思います。発信→受信→アクション、概念的にはそういう事なんだと思います。
でも、それをそのまま実行しようとしても、コミュニケーションが成立するかというとそうとも限りませんよね。通じなかったり、リアクションがなかったりすることも多い。

僕は映像をつくってご飯をたべているわけですが、仕事で構成を考えるときに、この発信→受信→アクション、を成立させるための前提をまず考えます。
これが、作品のオープニングで展開する部分になったり、シナリオを書く上での自分の立ち位置になったりする。コミュニケーションの前提となる「場」の設定だったり、受け取って欲しいメッセージの前提や方向性の確認だったり、視聴者との問題意識の共有だったり、そういう事がまずは直近、重要になります。
ディレクターや構成作家ならだれでも当然のようにしている事ですが、そこを失敗してしまうと、視聴者とのコミュニケーションは閉ざされてしまいます。

何か、あるマニアックな趣味をもつ者同士のコミュニケーションでは、興味の対象が共通している事そのものが、大前提として大きくある。あと職業が同じ、とか。

また、落語で名人が出てくる時は噺を始める前からなんか面白い。「さあ、笑わせるよ」「よしきた笑うよ」という大前提が、噺家の登場の瞬間に形づくられている。
これを演出的な面からみると、出囃子、というのもそれに一役かっています。しーんとした中でしずしずと登場して、爆笑を取るのは至難の業でしょう。

あるいは、家族の中というシチュエーションを考えると、同じ物を食べて美味しいと思う、同じテレビ番組を同時にみて同時に笑う、同じ猫を見て同じことを思う、といったコミュニケーション未満の、共感、のようなものが基本的には支配している。その上にコミュニケーションというレイヤーが乗っかっている、という感じがします。

こういう「前提」を例えば、「シンクロ」というような言い方をしてみる。

コミュニケーションの前提には「シンクロ」という、何か、同じ方向だったり、同じカテゴリーだったり、同じ気分とか、そういうものをベースにした「コミュニケーション未満」の状態があって、むしろそっちの方が重要なんじゃないか。
家族や夫婦、恋人・友達同士の「いい気分」をイメージした場合、コミュニケーションというようなハッキリした状態よりも、ぼやっとした「シンクロ」の方が貢献しているような気がします(だから猫が幸せを呼ぶ、またかつてお茶の間でテレビが担っていた役割もそういう事なんでしょう)。

そういえば、今はそうでもありませんが、かつては、ロケの前にかならずスタッフと飲みに行っていました。そういう場でロケの話をするわけではないんです。単なる馬鹿話をして、テンポや方向性を揃える、偏光フィルターで光の波長を揃えるみたいに、気持ちの方向を揃えておくと、本番でコミュニケーションがうまくいくんです。
これなんかも、シンクロした状態を作る事がコミュニケーションに貢献するという例だと思います。

ネットのコミュニケーションが、ついつい失敗してしまう理由は、実は、この「シンクロ」という状態をすっ飛ばしがち、という所にあるような気もしてきます。
ついつい「コミュニケーション」にはやるあまり、すれちがったままコミュニケーションもどきの状態が続いてしまったり、なんか誤解しあったまま、共感しているような気がしたり。誤解し合っていたことが判明した場合に過度に幻滅してしまったり、その為に攻撃的になってしまったり。

これらは、多分、前にも書いた、ネットではニュアンスが欠けてしまいがち、という事情によるんだと思います。

こういう、「シンクロ」状態は、ニュアンスが形づくる儚いものなんですが、儚いという割には、人の心を支配してしまいます。
なので、一回シンクロしてしまうと、もう何年も会っていなかった友人でも、すぐにコミュニケーションが成立して、あれ、10年ぶりだっけ?というような事にもなる。
ネットがキチンとコミュニケーションを成立させるためのツールになるためには、その前段階の「シンクロ」を成立させるぼやっとした「ニュアンス」を伝え合えられるようになる必要があるのでは?と。
言葉を伝えると同時に、発音のニュアンスや、手書きの字の乱れのニュアンスとか、現在、絵文字が担っているような機能がもっと強力かつ自由になって使えるようになる必要があるような気がします。
まだまだネットは、コミュニケーション手段としては発達段階という事なんでしょう。

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2011年1月16日 (日)

ヤマトヌマエビ


ヤマトヌマエビ、日本では関東以南の河川にいる小さなエビです。
よく熱帯魚水槽の「苔掃除屋さん」としても飼育されますね。
幼生は海で暮らし、暖流に乗って分布を広げるので、「ヤマト」という日本的な名前の割には、マダカスカルやフィジーなど、太平洋に面した結構広い地域に分布しています。
カンブリア紀の節足動物がだいたいこれぐらいの大きさなので、勉強になるかなと思い、年末、仕事の合間に制作してみました。

Yamato_numa_15


まず勉強になるのは、脚の関節ですね。折れ曲がる部分はちゃんと「蝶番」の役割をはたすパーツが出来ています。そういえば蟹を食べる時に脚の関節を見るとたしかに、蝶番的なものがあります。と思って昆虫の関節を見ても、たしかにそういう構造がありますね。カンブリアの節足動物も同じに違いありません。
生き物の可動部分は「理にかなった」構造にしかなりようがないので、ここはどう動きそうか、その動きのためにはどういう構造が理にかなっているのか、と想像するのは重要なのだな、と。

それと、透明度の問題も勉強になります。体は透明感があるのですが、中は少し濁っていて中身が詰まっている感があります。
カンブリアの節足動物で透明にしたい場合、なんとなく見た目に綺麗なように、透明度と表面の質感だけを設定していたんですが、実際に、ヤマトヌマエビの写真を沢山みてみると、すりガラスのように少し濁った透明感です。これは大変参考になりました。
中身がからっぽな感じがしてしまう場合、これまではなんとなく屈折度を設定してごまかしていました。でも考えてみると実際には「水の中に水のかたまりがある」に近い状態なわけで、そう屈折するわけもありません、そこが気になっていたのですが、これで解決するような気がします。

んー、やっぱり現生の生き物CG、勉強になる。

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2011年1月 7日 (金)

環境の多様性について

これまで、生物多様性を支える3要素を「種の多様性」、「遺伝子の多様性」、と考えてきて、今回が3つ目、「環境の多様性」です。これも、考え始めると色々難しいですね〜。
環境の多様性は「生態系の多様性」とも言われるようですが、そっちの方が言葉の使い方としては分かりやすいと思います。

●生物多様性のベッド
地球上には、温帯地方、熱帯地方といった気候帯による環境の違いや、海洋、平地、高山、みたいな地形 などに由来する様々な環境があります。さらに、海洋なら深海から磯まで、様々なニッチがあります。そのひとつひとつに独自の生態系があって、まさしく多様な姿を形作っています。
このような環境の多様性があるから、種の多様性や遺伝子の多様性が生まれてきます。そうして、種や遺伝子の多様性のベッドになるのが環境の多様性だと思います。
なので、「環境破壊」がそのまま生物多様性の損失に繋がります。
早い話、この環境の多様性さえ保全することができれば、生物多様性は守られる、という事になるのではないでしょうか。

環境の多様性が守られるためには、地形や景観が守られるだけではダメで、中身の「生態系」の方が重要です。
例えば、川の水をきれいにする運動がイコール生物多様性を守るためになるかというと、そうとは限りません。
いくら見た目に豊かな自然が守られているようにみえても、そこに生えている植物や生活する動物のかなりの割合いで外来種だったりした場合は、その環境は破壊されています。美しい水辺があっても、そこに泳ぐ魚が錦鯉やブルーギルだったり、のんきに日向ぼっこをするカメがアカミミガメだったり、ホタルが本来の亜種ではなかったりしたような場合、その環境は、見た目や水の清浄度にかかわらず破壊されています。

生物多様性という文脈でいう「環境」と、「環境問題」「公害」のような文脈でいう「環境」とは意味が違うわけです。

●複雑にからみあっている
環境=生態系の多様性は、どこまでも細分化することができます。
一本の木をみても、土中の根の周囲の生態系、落ち葉が積もる根本生態系、幹の生態系、葉の茂みの中の生態系、木の梢の生態系、といった多様な生態系=環境をふくんでいます。
さらには、そこに生活する生物一匹一匹の中にも共生や寄生をする生物がいて、そこにも生態系があります。
例えば、人体もひとつの生態系、と言っていいのかもしれませんね。僕自身の体にも顕微鏡的なレベルで見れば、頭皮、鼻腔、口腔、手や足の皮膚の表面、消化器の内部、などなどに様々な生物がいて、それぞれに生態系が あるわけです。腸の内壁に至っては、僕自身の腸の細胞と共生・寄生する微生物のコロニーとがほとんど分離不可能な状態にまで、密林化しているのだそうです。

環境の中に生態系が形作られるわけですが、生態系そのものが別の生態系を形作る環境でもあって、なんというか、入れ子構造のようになっていて複雑です。
例えば珊瑚礁ですが、温暖で光の豊富な熱帯の海という環境がサンゴを育みます。と同時にサンゴも他の生き物にすみかを提供したり、別の生き物を寄生させたり共生したりして自ら環境にもなっている。
また、安全で温度湿度が安定している洞窟はコウモリに生活や繁殖のための環境を与えていますが、その洞窟の床にたまったコウモリの糞がべつの生物たちの生態系をささえる環境を作り出している、といったような事もあります。
環境の中に生態系が形作られると同時に、生態系そのものが環境をつくってもいるわけです。

環境=生態系は一つ一つの要素が互いに影響しあい、依存しあっているので、とても複雑な構造をしています。
その中から、ひとつの要素だけを取り出して何か大きな影響を与えてしまうと、その要素が関連するすべての要素に影響が及び、バランスが崩れてしまいます。
なんか、下手にさわれないな、というのが「環境=生態系」なんじゃないでしょうか。

●人間との相互作用(マイナスの)
あと、関連して気になるのが、人間が、ある特定の生物に対して影響を及ぼす、という事の弊害です。

昨年の秋、熊が里に降りてきて捕殺される事件があいついでいて、熊の命を守るために山にどんぐりを撒いていた組織があるようですが、本当にそんな事をして大丈夫なんだろうか、と思います。心配です。
これは、色んな人が指摘している事ですが、山林に他の地域のをまくことで 、どんぐり(カシやシイ)の遺伝子が汚染される危険がある上、どんぐりに寄生している昆虫などが一緒にばら蒔かれているのではないか、という点がひとつ。
もうひとつは、どんぐりを食べている他の動物、例えばネズミなどが異常に繁殖してしまうおそれがあることです。熊も撒かれたどんぐりを食べるでしょうが、ネズミはもっと食べているかもしれない。
それと熊の生活に人間が立ち入る事による影響も心配です。熊も様々な事を経験から学んでいます。人の匂いが移ったどんぐりを食べることで人間の匂いとどんぐりを関係づけてしまったら、食べ物と人間とが関連づけられてしまう。となると、ますます人間の集落に熊が近づく原因になるかもしれません。熊の本能に従えば人間は避けるべき対象でしょうが、人間の存在が餌と結びつき、自分にとってプラスの意味を持ち始めると人間の生活圏にどうしても近づいてきてしまうでしょう。
野生動物も本能のみにしたがって生きているわけではありません。日々「情報収集」をして学習し、その状況が自分にとってどんな意味があるのかを貪欲に精査している。
人間の側は「どんぐりだけ」を提供しているように思っていても、クマたちは「どんぐりそのもの」の他に、それと関連付けながら「人間の匂い」「どんぐり散布のヘリや車の音」「散布の際の人間の声」などなどの情報を同時に受け取っています。それらの情報がクマの生活、というか、「行動」に大きな影響を与えてしまう、というのは充分に考えられることだと思います。

それと、シカが増えすぎて食害に困る地域で、絶滅してしまった鹿の天敵であるオオカミを輸入して放そうという計画も検討されているらしい。これも恐ろしいですね、どうなることやら検討もつきません。そもそも人間がオオカミを絶滅させてしまった事がシカ増加の大きな原因ですから、個人的にはどうなるのか見てみたい気もするし、その効果に期待もしたいですが、実行するにはあまりにリスキーだと思います。
この場合、生態系の変化もそうですが、人間の側にも大きな課題が課せられます。もともと日本には今は絶滅してしまった、ニホンオオカミがいたわけですが、いた当時は、人間の側にオオカミと付き合うノウハウや文化があったのだと思います。今はそれらは失われているわけで、まったく触ったことも、食べたことも、襲われたこともない未知の「強い」動物といきなり付き合うことになります(カラスとさえうまく付き合えてないですよ、人間)。
で、現状で増えすぎたシカがいる、そこのオオカミを導入してシカを食べてもらう、とするとオオカミは増えます。増えたオオカミはますますシカを食べる、そのうちシカが減ってくる、となると、増えたオオカミがお腹を満たすために何かほかのものを食べないといけなくなる。そうなると現在の熊の大量出没と同じことのオオカミバージョンが起こる...のかもしれません。クマどころではない、非常にやっかいな状況が生まれるんじゃないかな、と思ったりします。

●あるのは「環境の多様性」だけ
「種」「遺伝子」「環境」という生物多様性の3つの要素が並列で存在する、というより、あるのは「環境の多様性」なんだと思います。環境は多彩な生物が織りなして作り上げられているものなので、多様な環境があれば、そこには多様な種と多様な遺伝子が存在する。
そう考えると、子供にわかる生物多様性解説への道筋もちょっと見えてきます。

地球上には色んな環境があって色んな種が生きることができ、そこには色んな遺伝子が存在する。そういう「賑やか」な状態を守るのが大切なんだよ。
子供に伝えるとすると、そんな感じだろうか、どうなんだろう。
その際、その環境とは、アマゾンやグレートバリアリーフのことだけではなく、近所の池や原っぱみたいな、身近なところにもちゃんとある、という事もあわせて伝えないといけないと思います。

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そうか、「多様であること」が無条件に素晴らしいことである、ということを伝えないといけないのかな。

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このテーマのこれまでのエントリーはこちらから。

「SIDEB 生物多様性の勉強」

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