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2009年10月10日 (土)

映像ディレクションの作法/フェード

秋です、ディレクションの細かい部分を考えてみようシリーズ(微妙にキャッチフレーズ変わってますが)。
編集つながりで、今回は、フェードイン=FI、フェードアウト=FOです。これも結構深いですね。

これは、トランジションであるようで、ないようで、使い方は明快なんですが、ちょっと特別ななポジションにあると思います。
要は、まー、誰でもそう感じると思うのですが、シーンを始める時に使えるのがFIで終わる時に使えるのがFOです。
黒を使う黒フェードや、白を使う白フェードが一般的ですが、別の色を使う場合もごくたまにあります。
一連の流れの中で一区切りを「はっきり」宣言する効果が絶大です。
例えば、それがたった1カットだったとしても、FIしてFOすれば、独立した一つの「シーン」として成り立ってしまいます。よく考えると不思議で、これこそがフェードの意味だと思います。
フェードしきった黒や白の状態は言ってみれば「映像情報がゼロの状態」という事になります。100%あった映像情報が、この「情報ゼロ」に向かって減って行くのがFO、情報ゼロから次第に増えて100%になるのがFIです。

僕の考えでは、フェードインとフェードアウトはセットになっています。人間の感覚として、フェードアウトしたら、次はフェードインを期待する、そういう風になっていると思います。始まって終わる、と考えるとまずフェードインという感がしますが、基本はフェードアウトで始まってフェードインで終わるワンセット。
1 あるデュレーションでフェードアウト
2 所定のフレーム数の黒
3 あるデュレーションでフェードイン
これがワンセットでこの3要素のバランスが重要です。
作品の最初のフェードイン(フェードするならですが)と、ラストのフェードアウト(するなら)は、ペアのいない特例だと思います。
フェードアウトして、次はカットインする場合もありますが、これはフェードインのデュレーション0の状態、と僕は解釈しています。
ひとつひとつ見て行きましょう。

1は先行するシーンの終わりのフェードアウトです。
フェードアウトが始まると、見ている人は、意識するかしないかはともかく「フェードアウトが始まった」事を認識します。ここで、観客の生理に対して自然なデュレーションをとってあげればスムースに流れます。
自然なデュレーション、といっても漠然としていますが、いわゆる一般的な「ふつう」の、違和感のないデュレーションです、例えば1秒とか。僕の場合は1秒、やや急ぐ場合で20フレームぐらい。これが20フレームと半秒のディレクターもいると思います。いずれにしても、この「自分の中のデフォルト=標準的で自然なデュレーション」に対してどの程度調整しようか、という事になります。
より短くすると唐突に展開する感じが生まれ、より長いデュレーションだと、何か意図的な引き伸ばしというか思わせぶりが生まれます。

2は黒の長さ。
人間の感覚には余韻というかのりしろがあるので、フェードアウトしてもそれが完全に了解されるまでタイムラグがあります。FIとFOの間の黒(間)は、そのタイムラグをどう取り扱うか、に関わっています。
シーンの終了を視聴者にしっかり了解してもらってから、さて、と次シーンを始める場合には、十分な黒をとる必要があるし、事を急いでどんどん行きたい場合は1フレームでもいいでしょう。極端な場合数秒などもっと沢山とると重大な流れが「ほんっとに一区切りしました」という宣言になると同時に、その「間」に何か意味が宿ってきます。情報ゼロの状態なのに、そこに「この長い間の意味は?」と視聴者の脳が考え始めるわけです。1フレームから数フレームといった短い間にした場合、視覚的には区切りがついていると同時に生理的にはその変化についていけないためになんというか「切迫した」印象になります。

3は後続シーンの始まりのフェードインです。
これもデュレーションが重要で、先のフェードアウトと黒のデュレーションを「受けて」どうするか、という事になります。
たとえば、2秒ほどかけた長いフェードアウトの後十分過ぎる黒をとって、次のフェードインが15フレームだったとすると、じっくり終わって唐突に、視聴者の裏をかいた感じで始まる感じになるでしょう。長いフェードアウトと黒で作ったテンションとはまったく別のテンションが始まる、音楽でいえば「転調」したような展開というか。
逆に切迫した展開で突っ走ってきて、半秒でフェードアウト、黒1秒、そのあと2秒でフェードイン、というようなケースでは、唐突に終わった流れがいったん途切れ、また新たな大きな流れが始まる、という感じになります。
なにごとも無く1秒のFIと15フレームの黒、1秒のFI、とかならひっかかりも何もなく、シーンが終わって始まりましたよというスムースで平坦な説明になります。

これらのデュレーション、実際には結構相対的なもので、作品全体のテンポ感によるともいえますね。30杪の作品と60分の作品では基準になるデュレーションも違ってくるでしょう。

このあたり、落語や講談などの語りものテクニックと似たところがあると思います。
ひとつのシーンを語り終わって、「そして」とつなげてそのまま語っていくのか、「さて!」としっかり区切って続けるのか、何もなくさくさくすすんでいくのか、のような。

シーンの変わり目には色々あって、重要な変わり目もあれば、なにげない句読点のような小さな変わり目もあります。この変わり目の重要さや軽さを表現するためには、フェードアウト、黒、フェードアウトの各デュレーションの調整が役立つというわけです。同時に、シーン変遷のテンポ感を作る事ができます。

あと、BGMとのコンビネーションも重要です。
例えば、FIは音楽の入りに、FOは音楽の終わりに対応している場合。映像ではフェードでシーン終わりを宣言しておくと同時に、音楽でも同時にシーンの終わりを宣言しているわけで、とても「はっきりした」表現になります。
これを、音楽はつながっていながら映像はフェードイン、アウトすると、シーンのまとまりに階層ができるわけです。音楽は関連あるいくつかのシーンのまとまりを宣言し、フェードでは一段階こまかい個々のシーンを宣言する、という事ができて構成にふくらみが生まれる場合があります。

こうして細かく考えいくとわかるのですが、FO/黒/FIのセットは、一種の「段取り」です。なので、短いスパンでこれを繰り返しすぎると、うっとうしい感じになってしまいます。

もちろん、シーンの終わりと次のシーンの始まりをフェードしなくてはいけないというわけでもありません。
トランジションでシーンを変えることもできるし、普通にカットでつながっていてもしかるべき流れが出来ていればシーン変わりをわかってもらうことはできます。また、BGMや劇伴のつけ方でもシーン変わりは表現できます。
フェードを使う理由は、見も蓋も無いほど、誰にでも、はっきりわかって欲しい時や、流れをしっかり間仕切りしたい場合です。そういう意味ではとても強い表現、表現というより仕掛けのようなものだと思います。

音楽でも、フェードアウトして終わるような曲がありますが、映像のフェードアウトと音楽のフェードアウトでは意味が違います。
音楽の場合は「まだ続いている」のにフェードすることによって人工的に終わらせた、という感じ。音楽が終わる場合は「ジャーン」など、終わりそうな曲展開になっておわる、というのがデフォルト、FOはそこを聴かせずに終わらせるので途中で失礼します、という印象になる。まだ続いているナレーションが途中でフェードアウトするみたいなものです。
映像の場合は、フェードアウトすると、ほんとに終わってしまうんですね。楽曲のエンディングの「ジャーン」という終止感と同じ意味になると思います。

映像は、始まったら、終わりに向かって流れて行きます。映像を水の流れのようなものだとイメージすると、フェードは、その流れのしかるべきところにしつらえた「弁」とかバルブのようなものかもしれません。

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