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2012年3月24日 (土)

2011 3.11 以降

昨年の3月11日以降、いろいろ思うところはありますが、震災復興とはまた別に、これからこの国で生活するにあたって留意すべきことが沢山わかってきたと思います。
なんかとても、色んなことが、なんでこうなるのかな~、的なちぐはぐさというか、合点が行かない感じで続いているんですが、その理由は、多分下記のような事ではないかと思うのです。
(何をいまさら、と思う方もいるかもしれませんが、少なくとももう少しマシだと思っていたんですよ、僕は、甘かったですけど)

その1)政府や官僚は妄想のなかに生きている
この国に生活している僕らにとっては、生活とは日常であって現実です。
しかし、政府や官僚が営んでいるのは、生身の現実とは別の、国という仕組みであったり、経済というストーリーであったりします。彼らにとって、国民は、そういった「国というシステム」の構成要素のひとつでしかないようです。
国という仕組みが保たれるならば、多少の国民の犠牲は仕方がない、と彼らは多分思っています。

あれだけめちゃくちゃに壊れ、あらゆるシステムが「仮設」状態である福島の原発を前に「事故そのものは収束した」と真顔で宣言できるのは、まさに、彼らが現実とは別の、ある種の夢や妄想のようなものを見て、彼らにとってはそっちのほうが「本物」だからです。
なので、現実と宣言との間にかなりの隔たりや矛盾があろうとも、関係ないのでしょう。だからちっとも実効性のある施策を打てないのではないでしょうか。
これは、お国のために、と国民を戦争に駆り立てる仕組みと変わりません。日本国民全員が火の玉になって、お国を守れ、そういう事をいま言い出しはじめているのが「国」だと思います。

崩壊原発がすぐ近くにありながら、住民を戻そうとしている自治体など見ると、国や自治体というものが、そこで生活している「人」とはまた別のレイヤーにある仕組みなんだという事がよくわかります。人が生活するために自治体なりがあるのではなくて、自治体という仕組みを作るために住民がいるという逆転現象が起こっているのでしょう。

その2)原発は経済界のパンツだった
現在の日本経済界は、成長することが善で停滞することは悪である、というストーリーを生きています。無限に成長するためには無限にエネルギーが供給されなければならず、その象徴が原発だったのでしょう。だから経済界は原発にしがみつくのです。
原発がほとんど止まっている現在、経済界は大事なパンツを脱がされて、ふりちんで野っ原に立っているような、おおきな不安を感じているはずです。だからパンツを取り返すために必死で再稼働させようとするのでしょう。彼らのこねる理屈がヒステリックだったり、脅迫のように聞こえたり、ある種のカルト臭がするのは多分、このためです。
本来は別のパンツもあることに気づかなければいけないと思うのですが、政府と同じく「成長」という妄想にとりつかれているのでわからないのではないでしょうか。
成長を期待しなくても済む経済、現状維持を目的とする経済もあっていいはずです。経済成長しなければ人類が生存できないというのは、ある種の、これも、脅迫的な妄想の一種ではないでしょうか。

その3)マスコミはジャーナリズムではない
この1年で、ジャーナリズムだとされてきたテレビ、新聞といったマスコミは、妄想野郎の政府、官僚の出先機関であることがはっきりしました。
彼らにはろくな取材能力もなく、政府発表がなければなにも報道できません。広告収入で成立している民放にいたっては、さらに広告主の意向が報道内容を左右しています。つまりマスコミは報道機関ではなく、広報機関です。

たとえば、読売のこの記事。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/chiba/feature/chiba1330612328243_02/news/20120310-OYT8T00896.htm
放射能は目に見えないので、当局の発表がないと放射線の記事は書けない、と書いてあります。記者が自分で測ったらいいんじゃないの?もしくはどこか大学などに協力してもらうとか。笑ってしまうほどお粗末ですが、大新聞がこんな体たらくで、しかもそれを自ら記事にしてしまうというのはまさに末期的です。

テレビも良質な番組がないとはいいませんが、どんな報道番組も常に番組の裏をかんぐりながら見る必要がますますでてきました。誰にでも正確な情報を簡単に手に入れられるはずのマスコミ報道に接するにあたって、「裏を読む」という非常に高度な情報リテラシーが求められる皮肉。
ミソもクソもと言われるネットの情報を漁って取捨選択するほうがよっぽど簡単です。

こういう風に考えてくると、今回の不思議な「瓦礫広域処理キャンペーン」の理由もわかってきます。
体面を保つために、目に見える「瓦礫処理」を進めて「復興するニッポン」「絆の国ニッポン」を印象づけたい国、震災以降、円高もあって景気の悪い産業界と税収が減った自治体は即効性のあるカネ(補助金)が欲しい、そこに、広告収入が減った代理店と媒体がからんで大キャンペーンとなる。という構図なのではないでしょうか。そこには「被災者のため」という視点はゼンゼンないんじゃないかなぁ。
同じストーリー、同じフィクションを共有する仲間がともに潤うための巧妙な仕組みだと思います。そうでなくては、ここまで瓦礫に執着する理由がわかりません。

瓦礫に関しては、岩手県の岩泉町長が地元からの意見を述べています。
http://mercury7.biz/archives/18279

(元ソースは下記ですが、どうやら削除されている模様)
http://mytown.asahi.com/iwate/news.php?k_id=03000001202290001

3.11以降に浮かび上がってきたと感じるのは以上のようなことです。
もうこの国を信用してちゃダメなんじゃないか、という日本国民としての根本的なギモンです。うすうす感づいていた事が震災によってはっきり眼に見えるようになった、まずいことに日本国というシステム自体がすでに現実から乖離してしまっている...。

我が目を疑う、あたかも、なにもかも解決したかのような海外向け日本PRコマーシャルby外務省。背筋が凍ります。
http://www.youtube.com/watch?v=HEAUZGLnJQc&feature=autoplay&list=PL485006D5D9738951&lf=plpp_video&playnext=3

まー、ひとまず、僕はこんな風に現状を認識してみました。

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コメント

こんにちは。やっと少し暖かくなってきましたね。

>少なくとももう少しマシだと思っていた

同感です。日本という国(国家体制?)は私と立場は異なるとしても、それなりにもうちょっとちゃんとしてるのかと思っていました。

まあでも悲観的になっていてもしょうがないので、これからは社会に対して自分の意見を言っていこうと思います。ダメ元ですから。

懸案のFCPモンダイ。
相変わらずはっきりした指針が見えぬぬまま、時々AppleStoreに出かけてはFCP Xの使い方を習っていますが、あまり気が進まないのではかどりません。

投稿: ajapapa | 2012年3月28日 (水) 16時07分

ajapapaさん、こんばんわ。
やっと桜開花の声も聞こえてきましたね。

ほんと、そうで、ダマされてました。
深く反省して、よく見ていこうと思います。

FCP、インターフェイスもがらっと変わっていることですし、他のツールに乗り換えるのもいいのでは。プレミアのほうがFCP7に似てますよ(笑)。
僕はどうしようかなぁ~。

投稿: senzaki | 2012年3月31日 (土) 20時55分

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