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2016年4月

2016年4月28日 (木)

Premiere Pro CCが快適に動くPCのスペックって?

私の仕事は映像を作ることなので、パソコンを使った映像編集環境はとても重要です。
編集は、adobeクリエティブクラウドを契約して、Premiereを中心にAfter Effectsなど使っていますが、たまに、「PremiereCCを快適に使うためには、PCにどんなスペックが必要なのか」というご質問をいただきます。
その人によって、というか、やっている作業によって、求められる「快適さ」は違うので、一概には言えないと思うのですが、これまでPremiereをインストールしてみて「わりと使えた」スペックを書いておこうと思います。

その1) マウスコンピュータの15インチノート
現在、仕事での編集作業に使っているメインマシンです。
これに外部ディスプレイをつなげて作業しています。

Intelcorei7 2.8G
メモリ 32G
グラフィック NVIDIA Quadro K300M

メモリ大盛りめなので、PremiereとAfter Effectsを両方立ち上げて作業してもさほどストレスありません。
グラフィックは非力め・モバイル用のQuadroですが、一応Cudaは効いて、レンダリング書き出しに一役買っているようです。

その2) DELLの省スペースデスクトップ OPTIPLEX990(SF)
最近、Blender専用マシンが必要になり、自宅用に中古で買いました。5万円ぐらい。

Intelcorei7 3.4G
メモリ 8G
Radeon HD 6450

Blenderのパフォーマンスに効くのははもっぱらCPU速度ということで、メモリは小さめ8Gでいいや、と。
この状態でも、Premiere単体ならそこそこ快適、機嫌よく働いてくれます。これを見るとやたらにメモリ積む必要ないんだな、と思います。
グラフィックボードがOpen GLをサポートしていないので、Cudaは効かないですが、Mercury Playback engineでプレビュー機能の強化は一応できている模様です。が、どの程度どうなのかはよくわかりません。
編集終わって書き出す時の計算が、上記マウスコンピュータの下手をすると2倍ぐらいかかることがあります。これはグラフィックボードの違いだと思います。

その3) オフィス仕事用ノート パナソニックLet's note CF-NX2
普段、事務作業や書類作成に使っているノートです。これはDELL購入以前に試しにやってみた程度です。(CCでインストールが認められているのは二台)。

Intelcorei5 2.6G
メモリ4G
グラフィック (オンボード)

このマシンでも、一応、HD解像度の簡単な作業なら実用的に使えます。ビデオトラック3つぐらいで済むようなちょっとした作業ならこれでもまあ、一応実用範囲内と思います。

以上、ご参考までに。
ざっくり、COre i7でメモリ8ギガあればいいじゃないかと。

あと、基本的なことですが、OSは64ビット版じゃないとインストールできません。
先のDELLも32ビット版のWin7がインストールしてあったのですが、64ビット版のWin10に無償アップグレードして使っています。

なんか、「最新のアーキテクチャーを実感したい!」とか、見た目カッコ良いのがいい!タッチ操作で仕事したい、などの希望がなければ、数年前のコアi7のマシンで十分仕事してくれるし、程度の良い中古が数万円で買えるのでおトク、という気がします。上記DELLとレッツノート、両方ともいわゆる企業向け製品の中古品です。こういうのは中古市場に出回るときには結構同時に大量に出るので、メモリとかオプションとか選択肢も結構あって買いやすいのでは。グラフィック性能も1世代か2世代古いわけですが、要は、許容できる速度で実用的に動くかどうかなので…。

編集環境が一つしかないと、とても不安です。PCはもろい機械ですから、予備のマシンは必須ですね。そういう意味でも安い中古PCはよい選択肢かも。理想的なスペックの最新マシンに大金を突っ込むよりも、安い中古をうまく選んでで副数の編集環境を用意しておくというのもいいと思います。

最後に繰り返しですが、「快適さ」は人それぞれ、編集しているプロジェクトそれぞれなので、ここに書いたのは、あくまで、私個人の「感想」です。

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2016年4月23日 (土)

熊本大分震災・もやもや

熊本の震災ですが、政府の対応、もやもやすることが多くて、忘れないようにメモしておきます。
明日は我が身かもしれませんから。

●最初の地震の直後、屋内退避を要請
大きな地震の時、十分な耐震性のない建物からはただちに出て、余震が収まるまでもどってはいけない、というのは中学生ぐらいなら結構知っている常識なんじゃないでしょうか。
この、ごく初歩的な間違った情報(指示・要請)を政府がだし、テレビ局が放送するというのは、確実に被害を拡大させたのではないでしょうか。なくなった方の多くが「圧死」だったということで、今後この「要請」との関係はしっかり検証されるべきだと思います。

●オスプレイ
国内に自衛隊の輸送用ヘリが何台もあるし、その一部は、オスプレイの何倍もの物資がはこべるそうです。
そんななか、オスプレイの出動をわざわざ米国に要請し、到着まで輸送を1日遅らせるというあえて後手な対応をしたのはなぜでしょう?政府は、自衛隊の能力を信頼していないということでしょうか?

●川内原発稼働中
隣県で、気象庁が「これまでの経験値が役にたたない」「進展が予想できない」と言っていて、震源域も東日本大震災以上の大きさをもつ震災が進行中なのに、そのまま動かしているというのは、誰が考えても危ないと思います。
この状況なら、普通、「大事をとって」停めるものじゃないでしょうか。
活断層の長さが想定以上で、さらに、今まで想定されていなかった地域も動いていると発表もありました。ということは現在の断層の知見は不十分なのです。どう進行していくのかわからない。
福島の原発崩壊で学んだのは「想定外は起きる」ということではなかったんでしょうか?その時点での科学的な知見と判断を超えた事態が起こりうるということを学んだのが東北の震災だと思っていました。
その想定外が、今起きています。先の震災で学んだんだから、それを今は活かすべきで、そういうことが科学的な姿勢だと思います。
それに「あぶなくなったら自動停止するようにできている」とか言っている大臣がいたようですが(能面のような印象の女性)、緊急自動停止は、起こってはいけない緊急な事態でそれ自体が重大事故です。緊急自動停止機能と「ストップボタン」は全然違います。

●首相、現地視察中止
なぜなんでしょう?誰にも納得できる、はっきりした理由は説明されていたのでしょうか。

●首相、現地視察
23日になって、現地に赴くようです。現地のタイミング的にはどうなんでしょう?むしろもう少し落ち着いてから来てもらったほうが良い、ということはないんでしょうか。

●TPP審議優先
熊本・大分の地震はは普通に考えて「未曾有の震災」だと思いますが、それよりもTPPの審議日程をこなすことを優先する理由はなんでしょう?

●大震災ではないという認識
気象庁をして「経験値が役にたたない」とまでいわせた震災で、これだけ広域に被害が及んでいるのに、大災害ではないと言い張るわけは?1週間以上経ってもまだ地震活動がおさまる気配がなく、一日何度も繰り返し大きな揺れがきています。同じ地域で震度7が2回観測されたのは観測史上はじめてのことです。
気象庁が言っているのは「この先どう推移するかわからない」なのですから、万全の対策を講じる必要があると思うのですが、にもかかわらず、緊急災害対策本部も設定せず、首相はもうすぐ欧州へ外遊するようです。

●激甚災害指定もされていない
未だに激甚災害指定もされていないのも変です。何か即効性がある指定ではありませんが、これがあるかないかで自治体のお金の使い方が違ってくる重要事項でしょう。過去の事例では、もっと小規模な災害でも、早期に指定されています。先例を重要視するお役所仕事として見ても、なんだかおかしいと思います。


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総合的にみて、この国の政府は、国民にあんまり興味がないのではないでしょうか?
それと、災害にしっかり対応する実力はもっていないような気がします。こんな様子では、いつ来るかわからない南海トラフs地震に対応できる気は残念ながら実感できません。
政府には、国土を強靭化する前に、災害にしっかり対応できる即応力や、柔軟な対応力、現地の状況を的確に描く想像力と、知性がほしいです。

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2016年4月17日 (日)

九州の地震…2

熊本と大分の地震。本当にお見舞い申し上げます。
こんな頻度で有感地震が起こっていたら、体も、それ以上に神経まいってしまいますよね。大変な天変地異です。地元の方々はほんとうに辛いと思います…、なんとか小康状態までこらえていただきたいと思います。

気象庁では、震源域がしだいに南に移ってきているとしていますね。これは、南西に伸びても、北東に伸びもも原発があって、心配です。
仮に原発じたいが無事だったとしても、周辺の送電設備が逝ってしまったらアウトだし、交通インフラの麻痺なども考えると万が一の場合の住民の避難もままならないのではないでしょうか?
本当に大丈夫なのでしょうか?これは、だれもが常識的に思う、ごく素朴な疑問だと思います。
マスコミも「異常がなく平常運転しています」としか言わないし、それって報道なのか、と。視聴者が気になっていること、疑問に思っていることに全くこたえようとしてませんよね。どこかの局のどれかの番組が特集として考察して当たり前の問題です。
やっぱり、マスコミは、政権に操られているのだと思わざるを得ません。テレビが寄り添うのは視聴者ではなかったんでしょうか?NHKは視聴者の出資で成り立っているし、民法も視聴者の信頼があるからこそ、スポンサーがCMを打つ価値があるわけですよね?

電力会社や政府は、ひょっとして、ここで止めたら負け、みたいなことを思っているのかなあ、だとしたら、本当に愚かですねえ。
これだけ大変な地震災害が起こっているのに、その上「原発大丈夫か?」という心配を地元のみなさん(+国民全員)に押し付けているのがわからんのかなあ。九電にしても、原発のおもりを一時的に軽減させて、停電の復旧にリソースを割いたほうが良いチョイスだとおもうんですが、そうは考えないんですね。まったく理解ができません。そんな子供みたいな連中が原発を動かしているのでしょうか?絶望的な気分になりますね。

今色々、「子供化」というか「幼児化」している感じがしているんですが、そのもっとも顕著な例が今の政治や経済を握ってるおじいちゃんたちだと思います。おじいちゃんが幼児化しているんですよね。経済一択でしか考えられない発想ってそもそも幼児的ですよ。幼稚園の先生のおっぱいで頭がいっぱいになってしまった幼稚園児のすがたが浮かんでしまいます。

この地震はほんと、今まで起こったことのない震災だと思います。この先、いつ収束するのかわからない。だって震源がどんどん移動していくわけですから。本震+余震がセットになって、フレッシュな場所に移っていく…、いつになったら収束するのか予測が難しいのだと思います。そのすぐ横で、原発が動いているというのが、どうしても異常に思えるのです。


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2016年4月16日 (土)

九州の地震…

居間でくつろいでいたら、なんか、ガツン、といった軽い衝撃があり、なんだろうと思っていたら、最初の熊本の地震でした。で、うちには、雷や地震動といった低周波に敏感な三毛猫がいるのですが、ガツンのあとも、彼女の緊張がどうも、解けない、なんか緊張しているんです。と思っていたら、二回目のM7.2が夜中に起きました。

九州の地震、心配です。亡くなった方にはご冥福をお祈りします。
避難中の皆様も、これだけの頻度で揺れ続けたら、ほんとうに参るでしょう。
本震→余震、といった今までの地震とは違う「群発大地震」といったこれまでなかった災害のようです。
5年前の東北とはまた違った災害ですが、その規模や、今までみたこともない、まるで地底怪獣が移動しているかのような異常な進行に、大きな不安を感じます。

しかし、近隣でこれだけ異常なことが起こっているのに、川内原発はなぜ、未だに動かしているのでしょう?
何かのチキンレースに挑戦しているのでしょうか?
ハードウェアがいくら大丈夫だとしても、これだけ危機が周辺にせまっていたら一応、「ぜったいに大丈夫」なのだとしても、大事を取ってとりあえず止める、というのが、良識的な判断だと思います。
人々が心配しているのは、ハード面の脆弱性についても確かにそうですが、それを運転・運用する電力会社や規制庁、政府の「頭」なんですよね。ちゃんと、ごく普通の、良識をもった、正常な判断ができているのでしょうか?そこに一番の不安があります。ふつう、万が一を考えて止めて様子をみるでしょう。すぐ隣の県で、M7以上なんだから。まして、今後も稼働したいならすぐに、止めて様子をみて、世間一般常識に則った原発運用をしていることを示すべきでしょう。
原発構内での揺れしか考慮していないかのように見える姿勢に、とっても危ういものを感じます。
原発とめたら電源がぁ、とか言っているひとも一部にいるようですが、それは心配ありません。今までだっとずっと止まってたんですから。事故っても被害が軽微な火力発電所を動かせばいいだけのはなしです。
電力の安定供給を担うべきは、原子力ではなく、電力会社なわけですからね。

今夜からの雨も心配です。おそらく火山灰の上に成立している阿蘇地方の地盤が…。
大きな二次災害がおこらないことを祈ります。

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2016年4月 9日 (土)

猫につきまして

猫好きです。ええ、猫好きですとも。断固として猫が好きです。
最近、うちでとっている朝日新聞で、夏目漱石の「我拝は猫である」のレトロ連載がはじまったので、猫についてひとこと。

↓我が家の最初の猫、クロネコ闇慈(あんじ)。世話焼きでやさしいいいやつでした。13才で他界。
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猫を飼っている方のおそらく98パーセントぐらいには理解していただけると思うのですが、猫とは、ニンゲンにとって「生活必需動物」です。
江戸時代、嫁入り道具の「づくし」を描いた絵図の中にも、鍋釜などの必需品にまじってしっかり一匹の猫が鎮座しているものがあります。

猫の居ない家は、例えてみれば、冷蔵庫のない家、風呂のない家のようなものです。なければないで、他に代替手段はなくはないものの(銭湯となね)、とても不便な生活を強いられる過酷で貧しい住まいです。一日の終わりに猫を膝にのっけられない生活は、精神的に非常な困難を強いられる寒々とした環境であることでしょう。
私は、子供のころから猫のある家に育ち、独立してからは20年以上猫のいる生活しています。猫を飼っていない人は、どうしてその寒々とした生活に耐えられているのか...

いくら障子をやぶられようが、じゅうたんが毛だらけになろうが、食器棚の上からゲロをまかれようが、多くの飼い主が「猫がいない生活よりは遥かにましだ、ありがとう!」と達観し、喜々として猫との生活に没入するのは、この「必需性」にあるのです。

猫が飼育されていた一番古い記録は、9千年前に遡るそうです。

最初は、ニンゲンが蓄えた穀物をねらう、例の鼠をねらって猫が近づいていったと思われます。そのうち、猫の鼠取りの腕前をニンゲンも当てにするようになった…。同時に、猫としてもニンゲンに色々と便宜を図ってもらい、意識するようになっていった。これが猫とニンゲンとの出会いのありそうなストーリーのひとつ。実際にどうだったのかはわかりません。

現在の猫とニンゲンとの関係は、この「そもそも」とはだいぶ変わって来ました。いやいや、もっと深まり、その本質が明らかになってきたというべきかもしれません。

人間生活の側からいえば、猫は野生動物ではありません。家畜です。家畜というのは、乳や肉をとる牛や、とんかつの原料たる豚などです。また、荷物を運ぶ馬やロバは労働力として役に立ちます。もう少し「産業的」ではない家畜である犬は、そもそも狩りのアシスタントで、つまり、家畜とは、人間の生活に、役に立つ動物のことです。

では、猫は???

猫ほど、ニンゲンの近くにいながら、くそのやくにも立たない動物もありません。うっかり猫の手を実際に借りてしまったら、仕事がはかどるどころではないでしょう。
では、なんで猫が家畜なのか…。

私は猫を、「メンタル家畜」と定義しています。ニンゲンの精神生活にとって「なくてはならないもの」を提供することが、猫とニンゲンとの間にかわされた契約なのです。

例えば、ああ、疲れたなー、でも仕事しなきゃなー、と思いながら座っている。そこに猫がやってきて、ひざの上にいそいそと乗ってくる。おお、来たか来たか、と背中を撫でているうち、15分か20分ぐらいは経っている。その内、猫はふいっと思い立ったかのようにどっかに行ってしまう。そこには、たった15分とはいえ、リフレッシュするに十分な休息の時間が創造されるのです。
逆の場合もまた…。ああ、こまったなあ、仕事ないよ、来月食えねえじゃん、困った…と思って座っている。そこに猫がやってきてひざの上に…(以下同様)。
どうせ、すぐに結論が出るわけでも、自分だけで結論がだせるわけでもない問題で、くたくたになるほど考え込むなんて、脳を劣化させるだけです。ちょっと休んで仕切り直すべき。そのタイミングを教えてくれるのが猫なのです。

ともすれば、あせって暴走してしまうニンゲンの脳の働きに適度に介入して休息をもたらすという、重要な仕事を猫はおこなっているのだと思います。
また、猫のもふもふの毛を撫でているだけで、脳内のセロトニンの分泌が促され、ストレスの解消になるという研究データもあるようです。

↓現在、うちの猫の最年長、三毛猫の気冴(けざや)。内弁慶のかわいいやつ。
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イエネコ発祥の地とも言われる、古代エジプトでは猫を神の地位にまで高め、あがめてさえいました。それも、この猫のなぜか発揮される特殊な能力ゆえかもしれません。猫とニンゲンとは、とかく、「ウマが合う」のです。

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2016年4月 6日 (水)

大事なところでいったんやめる

最近、編集ばかりしているので、また似たような投稿を。

脳って、すこし地すべりするというか、慣性でずずっとすべってしまうものだと思います。
例えば、編集をしていて、ノリノリで最後までがんばって完パケる…翌日プレビューすると、あー、根本的なとこ間違ってるじゃん、みたいなことがあったり。
ノリノリ時に一番気に入っていた部分が、そもそも要らなかかった、とか。
一番ノッて来たあたりのタイミングが、実は一番あやういのです。
そういう時には、セーブもろくにしてなくて、なんかのはずみでPremiere落ちてしまって、あーあ、なども。
ノっている時には、オペレーション頻度も高く、結構pcのメモリも逼迫している場合があります。そんな時は自動セーブが正常に機能していなかったりして、プロジェクトを復帰しても、あれ、5時間前までのしかない…!という場合もあります。

一番気持ちよく進行している時が一番あぶない。これ、真実です。
そういう感じになってきたら、いったん作業をやめて、お茶でものんでクールダウンするとか、「あとは明日のお楽しみ」とその日はやめちゃう、とか。というのが結構重要…と二十数年のディレクター生活で学んだ仕事のコツです。

そして、特に「ここからがキモだ」という大事なところになったら、まずいったん休憩をいれる、これも大切です。ノリノリのまま重要作業に突入してしまうと、大事な局面で上記のようなことが起こってしまう可能性大だからです。これはダメージが大きくなります。

とはいえ、スケジュールの都合で、ノリノリ編集そのまま完パケにならざるを得ない時もありますね。そんなときは、納品後はその作品、なるべく見直さないようにしています(笑…ごとではないですが)。

それと、思考が停滞してしまった場合、それも脳の地すべり現象と一緒でずるずると続いてしまいます。
あー、オレの脳みそ停滞してるな~、どうしてもアイディア浮かばない、編集進まない、と思ったらこの場合も、いったんやめて一休み、というのも大事だと思います。

身のまわりの情報環境がデジタル化しているので忘れがちですが、ニンゲンの脳そのものは、止まろうと思ってもなかなか止まれない、ごくアナログなプロセスなんだとおもうのです。

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2016年4月 2日 (土)

映像の編集と脳

有料デジタル記事配給プラットフォーム「CAKESケイクス」の有料会員になっていまして、毎日、電車なかでたのしませてもらっています。その記事の中で発見したのがこれ。
ニンゲンが一日にできる「意思決定」の回数には一定の限度があるらしい。この手のビジネス啓蒙記事はほぼ眉唾で読んでいますが、この記事は、ほう、と思いました。
一日の中でニンゲンができる「意思決定」の回数には限度があるというのです。

働く人のためのマインドフルネス講座

その数は人や状況によるので、何回とは言えないが、でも「ある」らしい。

この記事を読んで思い浮かんだのは、映像の編集をしている時の脳の負担のことです。
丸一日、根を詰めて編集をすると、ほんとうにぐったりします。で、そのぐったりはまさしく「脳が疲れたあ」というぐったりなのです。脳みそが「肉体的に疲れた」という感じ。「脳の筋肉疲労」といった感じです。一日肉体労働すると筋肉がだるくなりますが、それが、脳でおきている感じ。

編集している時の「意思決定」を、作業を分解して考えてみると、例えば…あるカットをプレビューして

●まずざっと、このカットは見込みがあるかどうか
(見込みがあるな)
●このカットを使うぞ
●インポイントをここにするぞ
●アウトポイントをここにするぞ
●このカットのあと(まえ)に使うぞ
(実際につないでみて)
●うまくいったな(こりゃ失敗)

1カットについてだいたいこれぐらいの「回数」です。
これを50カット分やるとすると300回の意思決定をしていることになります。100カットなら600回です。20カット分でも120回。1箇所の編集でトライ&エラーや、試行錯誤も発生するので、この1.3倍ぐらいでしょう。
また、最近の編集はPC上の「オフライン・オンライン一体型」ですから、トランジションやにエフェクトに関する意思決定もその都度行わなければなりません。となると上記のさらに1.2倍ぐらいになるのでは…。

よく、瞬間投資のデイトレーダーの過酷な緊張感なんかがテレビの話題になったりますが、そこまでではないにしても、映像の編集は(も、かな)かなり脳みそを酷使する作業ではあるんだと思います。

こうして、一日集中して編集した日の晩には、だいたい、夢をたくさん見ます。朝起きて、あー、10本ぐらい夢見たぞ、という感じになります。もちろん、内容はほとんど覚えていないのですが、なんだか、目一杯夢見たぞ、と。そんな時は、妙に頭がすっきりして目覚めるのです。
ニンゲンは、というか、猫も夢をみるらしいので、ある程度脳が発達した動物は、睡眠中に夢を見ることで脳の情報処理のメンテナンスをしているのだそうです。というか、むしろそのメンテナンス作業の結果が夢なのかな。脳を使えばつかうほど、夢を見る、ということらしいのです。

映像は、写真にも似ていますが、文章にも似ています。さらに、絵にも似ている上、音楽にも似ている。
なので、あるカットがOKである場合の「意思決定」は、写真的な「情景や表情のよさ」でもありうるし、文章的なロジックのパーツとして「ある意味を担えるOK」でもありうるし、絵画的な「2次元空間構成のよさ」のOKでもありえ、音楽的な「時間軸上の心地よさ」でOKである場合あり、さらにそのそれらの複合的なOKである場合も普通にあります(というかデフォルト複合的です)。要は複雑なのです。こういう場合、この意思決定への負荷もさらに大きなものになるのではないでしょうか?

こうした、編集作業の意思決定の複雑さが、編集という作業のおもしろさでもあるのでしょう。

で、この「あー脳つかれたー」という場合の対処法ですが、先のCAKESの記事では「瞑想をする」ということになるようなんですが、私としては、もう、端的に「寝る」を推奨します。

しっかり脳をつかったら、たっぷり寝る!これが重要と思います。
今は亡き、水木しげる先生のおっしゃるとおりなのです。

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