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2016年4月 2日 (土)

映像の編集と脳

有料デジタル記事配給プラットフォーム「CAKESケイクス」の有料会員になっていまして、毎日、電車なかでたのしませてもらっています。その記事の中で発見したのがこれ。
ニンゲンが一日にできる「意思決定」の回数には一定の限度があるらしい。この手のビジネス啓蒙記事はほぼ眉唾で読んでいますが、この記事は、ほう、と思いました。
一日の中でニンゲンができる「意思決定」の回数には限度があるというのです。

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その数は人や状況によるので、何回とは言えないが、でも「ある」らしい。

この記事を読んで思い浮かんだのは、映像の編集をしている時の脳の負担のことです。
丸一日、根を詰めて編集をすると、ほんとうにぐったりします。で、そのぐったりはまさしく「脳が疲れたあ」というぐったりなのです。脳みそが「肉体的に疲れた」という感じ。「脳の筋肉疲労」といった感じです。一日肉体労働すると筋肉がだるくなりますが、それが、脳でおきている感じ。

編集している時の「意思決定」を、作業を分解して考えてみると、例えば…あるカットをプレビューして

●まずざっと、このカットは見込みがあるかどうか
(見込みがあるな)
●このカットを使うぞ
●インポイントをここにするぞ
●アウトポイントをここにするぞ
●このカットのあと(まえ)に使うぞ
(実際につないでみて)
●うまくいったな(こりゃ失敗)

1カットについてだいたいこれぐらいの「回数」です。
これを50カット分やるとすると300回の意思決定をしていることになります。100カットなら600回です。20カット分でも120回。1箇所の編集でトライ&エラーや、試行錯誤も発生するので、この1.3倍ぐらいでしょう。
また、最近の編集はPC上の「オフライン・オンライン一体型」ですから、トランジションやにエフェクトに関する意思決定もその都度行わなければなりません。となると上記のさらに1.2倍ぐらいになるのでは…。

よく、瞬間投資のデイトレーダーの過酷な緊張感なんかがテレビの話題になったりますが、そこまでではないにしても、映像の編集は(も、かな)かなり脳みそを酷使する作業ではあるんだと思います。

こうして、一日集中して編集した日の晩には、だいたい、夢をたくさん見ます。朝起きて、あー、10本ぐらい夢見たぞ、という感じになります。もちろん、内容はほとんど覚えていないのですが、なんだか、目一杯夢見たぞ、と。そんな時は、妙に頭がすっきりして目覚めるのです。
ニンゲンは、というか、猫も夢をみるらしいので、ある程度脳が発達した動物は、睡眠中に夢を見ることで脳の情報処理のメンテナンスをしているのだそうです。というか、むしろそのメンテナンス作業の結果が夢なのかな。脳を使えばつかうほど、夢を見る、ということらしいのです。

映像は、写真にも似ていますが、文章にも似ています。さらに、絵にも似ている上、音楽にも似ている。
なので、あるカットがOKである場合の「意思決定」は、写真的な「情景や表情のよさ」でもありうるし、文章的なロジックのパーツとして「ある意味を担えるOK」でもありうるし、絵画的な「2次元空間構成のよさ」のOKでもありえ、音楽的な「時間軸上の心地よさ」でOKである場合あり、さらにそのそれらの複合的なOKである場合も普通にあります(というかデフォルト複合的です)。要は複雑なのです。こういう場合、この意思決定への負荷もさらに大きなものになるのではないでしょうか?

こうした、編集作業の意思決定の複雑さが、編集という作業のおもしろさでもあるのでしょう。

で、この「あー脳つかれたー」という場合の対処法ですが、先のCAKESの記事では「瞑想をする」ということになるようなんですが、私としては、もう、端的に「寝る」を推奨します。

しっかり脳をつかったら、たっぷり寝る!これが重要と思います。
今は亡き、水木しげる先生のおっしゃるとおりなのです。

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