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2016年5月

2016年5月31日 (火)

消費税増税は再延期なんですね?

そーり、サミットで突然「リーマンショックが来ると思うぜ!」と言い出した理由は、「リーマンショック級の事態が予想されるから消費税増税延期する」という、姑息な作戦だと思ってたら、今度は、「そんなこと言ってないもん」と平然と言い放っているらしい。
どういうことなんだろう。じゃあ、消費税増税するってことなんじゃないの?
さっぱり訳がわからない、というのはこの事です。さらに、増税延期にもかかわらず「アベノミクスは成功だ!」としているのですから、事は大変に複雑です。二重三重に骨折してしまったかのような奇っ怪なことになっているようです。
「汚染水アンダーコントロール!」や「TPP反対なんて一言も言ったことない」といった珍発言以上のわけのわからなさ、筋の通らなさです。これらのどうにもわからない「不整合」にどう始末をつけるのでしょう?大きな疑問がわきます。それとも、始末なんてつけないのかな?危うい。憂鬱だ…。

<毎日新聞社説>首相の増税再延期 税の議論をゆがめるな


ビデオニュース.com 「リーマンショック前夜」を裏付ける資料を作ったのは誰か


リテラ ネットではとうとう「ホラッチョ安倍」の称号が

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2016年5月30日 (月)

感想文:「作家の収支」

ミステリー作家、森博嗣の印税生活の本。これまたKindle版で読みました。

いわゆる「夢の印税生活」の内訳が赤裸々?に書かれたとても興味深い本です。
職業作家がどうやってお金を得ているのか、その内訳が事細かに書かれています。
よく、今は本が売れない時代で、小説一本で食っていくなんてとても無理!という話はよく耳にします。が、この本によれば、作家は「意外に効率よくお金がもうかる」商売だということになります。
しかも、通常の庶民的な労働と収益の感覚からすれば、まさに「夢の」といえる、高収入っぷりです。

その秘密は、どうやら、ある一定のクオリティを持った本を、「たくさん出す」ことにあるらしい。
デビューの時に、すでに数冊分の「小説の蓄え」があり、それが次々に出版される、それぞれがある程度の評判を取ると、相乗効果で売れていく、すると、重版がかかったり、単行本が文庫化されたりしてまた印税が入る、そういうサイクルを、休むことなくどんどん続ける…ということで「夢の印税」で生活がまわっていくようです。

ポイントは、自らが著作権を持つ「コンテンツ資産」をとにかく積み上げていく、というところにあるようです。「こつこつ」と積み上げていくことでどれかが売れ、どれかが再発され、どれかがドラマ化、どれかが映画化され、電子化され、そのたびに収益があがっていく。
その実態は、コンテンツ資産の「運用」に近い、という印象。
単行本を一冊出すと、その本が重版を重ねつつ、何年か後に文庫として発売され、それもまた重版しつつ印税を生み出してくれる、一粒で何度もおいしいのが、小説というコンテンツの儲かるしくみのようです。

現在、著者は、作家引退宣言(?)をして、一日に執筆時間1時間、それでも生活には困らないのは、過去のコンテンツ資産が着々と印税を稼いでくれているからです。このあたりも「資産の運用」に近いですね。

「重要なのはコンスタントに書き続けることで、それには、たいして才能は必要ない」と著者は書いています。でもさすがに才能は必要だと思うし、これは「持てるもの」の余裕の発言だと思いますが、小説の執筆を「商品の生産」として捉える見方は、ちょっと刺激的です。
また、これらコンテンツ資産の運用は、「小説」という、時間がたっても古くならないものだからこそ、可能である、というところも気づかされます。
それと、結構癖のある理数系推理作家という、独特の作家の位置、本の位置づけも成功に関連しているかもしれません。読書人全員が読まなくても、熱心なファンのコミュニティの存在が、安定的な収益をささえているのです。このあたり、先の都築響一の戦略にも通じるところがありますね。

私自身も、これまで、何冊か本を書いていますが、正直、あまり収益が上がっているとは言いがたい。本を書くという手間と、手に入る印税の額を比較すると、うーむ、という感じはします。ただ、印税率が、森博嗣とそう違うわけでもない(ちょっと低めですが)。収益の低さは、ひとえに、印刷部数が少ないからです。私の書く本は実用書だったり、ニッチな内容だったりして、多くて数千部がせいぜい。印税は、まずは印刷した本の部数に応じて支払われるので、収益をあげるには、それなりの部数がすられる必要があるのです(出版社との契約にはバリエーションがありますが、一般論として)。そして、収益の「本番」は、ほぼ不労所得といっていい、増刷によるものですが、それもなかなかままならないのが実情です。特に実用書の場合は情報がすぐ古くなってしまって、息長く売ることが難しいのです。
となると、なるべく多くの人が買ってくれて、息長く売れる本で勝負することになります。やはりエンターテインメント小説が最も印税をかせいでくれるカテゴリーということになるでしょう。でもその分野である程度売れるものを書くのは至難のわざ、ということは、夢の印税生活は、やっぱり、凡人にとっては夢のまた夢なのでしょう…。

それでもこの本を読む価値があるのは、いわゆる「コンテンツ・ビジネス」の要諦を、作家と小説という最小単位を使ってことこまかに解説しているという点です。
ふむふむ、ふむふむ、ふむふむふむ…とあっというまに読み進み、かなり、勉強になりました。

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2016年5月26日 (木)

感想文:「圏外編集者」

これも話題の本。Kindle版で読みました。

「圏外編集者」」都築 響一 著

今、なにがしかのものづくりを生業にしている人にとっては、読んでおいたほうが良い重要な本という気がしました。

都築響一 氏の存在を知ったのは、はるか昔、テレビ番組のディレクターをしていた時でした。
フジテレビのワーズワースの冒険という番組で、「部屋」というテーマで番組を作っていたのです。その時の取材資料としてTOKYOStyleを購入し、まんまとその中の何軒かのお部屋を取材もさせてもらいました。
その時は、この分厚い写真集が、都筑氏のたったひとりの手で取材され、撮影され、編まれたのだということは知るよしもありませんでした。当時、パートパートの専門家がよってたかって作る民放キー局大規模制作体制にがっちり組み込まれた身としては想像もできませんでした。しかも、氏は、この本のために「はじめて」カメラを買い((しかも4×5!)」、撮影を自力で始めたという…「だってそうでしかできねえじゃん、これ」という思いとともに。
今回、この本で、TOKYOStyleの作られ方を知り、まさに「ほえー」という気持ちです。

この本、おそらく、僕と同じように、80年代~90年代初頭ぐらいから、がりがりものづくりをやっていた世代には、それが出版か、映像か、それともイラストか、音楽か、にかかわらず、面白く読めると思います。共感と若干の反発、そして、なにか、色々なものをつきつけられてしまいます。自分の姿勢に対する自省促す巨大な?マーク。
語りおろしであるところも、理屈っぽくならず読みやすい。

確かに都筑氏は、編集者として、ものづくりをする人として、業界的には特殊なのかもしれませんが、この本で語られている、その「作る動機」と行動はほんとうに、ごくまっとうです。このまっとうさが「異端」に見えてしまうほど、現在のものづくり業界はおかしなことになっているのかもしれない。
そうやって、まっとうにものを作ってきた都筑氏の現在の活躍の場は、個人の有料メルマガです。60才にならんとする大ベテラン編集者が出版業界から離れて、インディーズやってるというのが、現在の、いわゆる「業界」の不健康さを示しているのではないか。それは出版だけではなく、映像や音楽、アートだって。

都筑響一メールマガジン
http://roadsiders.com/

本の中では、このメルマガに関連して、現在のデジタル化されたものづくりやコミュニケーションについても触れています。その認識はいちいちその通り!と頷ける指摘ばかり、しかも実践がともなっているので説得力があります。
この本(話)の良いところは、結局、ものづくりを生業にするって、作る能力やセンスだけじゃなく、生活感覚やら、お金やら、健康状態やら、それこそ生きていることがそのまま全部反映されているもの、という前提で書かれているところ。
精神論や根性論とお金や生活の話が切り離されない、健全な状態で語られていると思いました。

思えば、私もそれこそ「圏外」的な欲望が人一倍強いはずだったし、そのせいでこんな仕事をしているわけですが、この本を読んで、その欲望の強度がこのところ弱まってしまい、いつのまにかやや普通のことしばかり考えるようになってしまっていたかもな、と反省させられました。

……これは超重大な問題だ。修行しなおす!

都築響一氏の著書は、過去、こちらでも感想文書いています。
「独居老人スタイル」


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2016年5月20日 (金)

感想文:「断片的なものの社会学」

「断片的なものの社会学」(岸政彦)という本を読みました。Kindle版です。
前々から評判を聞いて気になっていたのです。
社会的なマイノリティをインタビューしながら研究を進める社会学者が、その体験の中で得た「なんだかもやっとする瞬間」を書き連ねた本です。
社会学の本というより、不思議な感覚で読めるおもしろいエッセイだと思います。

冒頭近くに出てくるのは、こんなエピソード。

沖縄である人にインタビューしていると、その途中で、庭の方から「お父さん、犬が死んでるよ」という声がして、その取材対象のお父さんは、一瞬ことばを切ったが、また何事もなかったかのように続きを話し始めた。

というもの。
このエピソードで、なんか、ぐっと引き込まれました。良質な怪談をこっそり聞かされたようなショックです。
居間でその家のお父さんにインタビューしている、その時、庭の犬小屋で(かどうかわかりませんが)その家の犬が死んでいる、それを息子が見ている。でも、父はそれを十分わかりながら、何事もなかったように話の続きをはじめる。
なんだか、きまずいような、どう反応していいかわからなくなる瞬間です。
だからどうだとこうこともない、そういう体験を別に解釈するでもなく、ただ味わって、なんだか戸惑っている。
この本は、こんな感じのなんだか胸のざわつく、結論の出ない、宙吊りの体験がたくさんでてきます。
そこには、なにか、はかなさと同時に、切なさがあって、ちょっと胸がきゅんとする。

著者は、この世界はこのような断片の集まりで出来ているといいます。

本書の中で、著者が書いている自分のエピソードがあります。
子供のころ、そこらへんの小石をひろっては、そこにたまたまあった、しかも世界中に大量にある、何者でもない小石が、ひろったとたんに「この石」に変化してしまう「とほうもなさ」にうっとりしていたというのです。
この感覚は、よくわかるような気がします。
偶然何かにかかわり持ってしまった一期一会の話ではなく、拾わなかった膨大な数の「ほかの石」のとほうもない規模に呆然とする感覚だと思います。自分の外側にある世界の漠然とした、そして、とほうもない広さに呆然とする…たった一個の石を拾うだけなのに、なんだか宇宙空間に放り出されたような気分になる。

不思議、味わい深い本でした。
なんか、似たような感覚を味わったことがある、しかも大好きな作家で…と思ったら、内田百閒の「冥土」でした。質感がちょっと似ています。

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2016年5月11日 (水)

大魔神とフェラ・クティ

連休中に、カミさんが捕獲録画してあった「大魔神」を見た。
この映画はもう何度も見ているし、そもそも封切りの時に見た。大魔神プラモも買ったし、おもちゃも買った。少年漫画誌での大魔神特集も読んだ。
自分的には、そんな、子供の頃からの定番中の定番映画でした。

あらためて見てみると、そのストイックな脚本にため息がでますね。
「悪者が悪いことをするから、大魔神が出てきてぶっころす」という単純な一本の線。
しかも、大魔神そのものは、あんまり色々考えたり判断していなくて、純粋に「力」として存在している、それこそ、地震とか津波と同じような自然現象に近い描かれ方をしています(神、ですからね)。そのあたりのわきまえ方も素晴らしい。
映画「大魔神」の魅力は、もう、この脚本の素晴らしさにつきると思います。

特撮も、怪獣映画より縮尺が大きく、現物に近い壊れ方をするので迫力もあります。
シーンの作りこみや、人物の心の動きの描写も丁寧で、まっとうな時代劇の風格も十分です。

今回、カミさんがCS放送で捕獲してくれたのですが、こういう、寿命の長いコンテンツに度々触れられるというのは、多チャンネル化の恩恵ですね。CSが登場した当初は、これ以上チャンネル増やしてどうすんの?とも思っていましたが、コンテンツのアーカイブとして意義を獲得したと思います。

大魔神は子供の頃からの古い友人みたいなコンテンツですが、つい最近、ハマってしまっているものがあります。それが、アフロ・ビートの生みの親、フェラ・クティです。
アフロビートの生みの親といっても、フェラ・クティのバンド以外にそれを演奏しているミュージシャンがいるのかどうかよくわかりません。

とにかく延々長い曲をやっています。
アフリカンビート、といっていいのかもわかりませんが、大人数で延々ポリリズムを奏で、ホーン・セクションのリフがキメキメで聞こえてくる。
それをぬって、フェラ・クティのがなりボーカルと、うまいのか下手なのかどうにも不明な感じの、テナーサックスソロや、オルガンソロが聞こえます。これもフェラ・クティが演奏している模様。
全体的な印象としては、泥臭くて、複雑。
これにハマってはや一月近くになるんですが、未だに治らない。
この延々続く、ポリリズムがしっくり来すぎてやめる気になれないんです。音源はAppleミュージックですが、アルバム20枚ぐらい上がっているのでとっかえひっかえヘビロテしています。

歌詞もよくわからないし、黒人人権運動家でもあるフェラ・クティの政治的メッセージもよくわかりません。が、この戦う姿勢は伝わってきます。
なにかと、世の中に理不尽なことが多いこの昨今、この音楽の「負けない姿勢」が生理にぴったりハマったのかもしれません。


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2016年5月 2日 (月)

QuickTime Windows版 サポート終了

QuickTimeのWindows版に深刻な脆弱性がみつかって、アップルがサポートを停止しました。安全のために、アンインストールが推奨(もしくは勧告)されていますね。

http://internet.watch.impress.co.jp/docs/news/20160428_755761.html

Premiereユーザーも少なからず影響を受けてしまいます。

アドビからのインフォメーション

https://forums.adobe.com/docs/DOC-7173

https://blogs.adobe.com/creativestation/video-apple-ends-support-for-quicktime-windows

PremierePro Windows版の使用で起こる問題とは…

●QT依存コーデックの問題
業務用途でよく使われるQT依存のコーデックは Apple ProResですが、これが使えなくなります。もともと、Windows環境ではこのコーデック使えないのですが、AppleからWindows用のデコーダーが提供されていて、再生だけはできました。なので、Mac環境から Apple ProResのQTファイルを渡されても、編集することはできたんですが…。これができなくなります。
同様に、アニメーションコーデックも使えなくなります。アニメーションコーデックは、書き出しもできるので、非圧縮画質を少しでも軽いファイルにしたい時にはよく使っていました。
この二種とも、ファイルの受け渡しや完パケなど、中間用や納品用のコーデックとしてはよく使われていると思います。
いずれも、代替手段を考える必要がありますね。

Proresに関しては収録に使われている場合もあるでしょう。収録はQTの Apple ProResで、編集はWindowsのPremiere、という仕事環境もそう特殊なものではないと思います。その場合は、さらに問題が大きいですね。収録フォーマットの変更を余儀なくされてしまいます。

●GoPro CineForm
最新版のPremiere ProCCには、GoPro CineFormというコーデックが入っていて、これがアドビイチオシの中間コーデックということらしい。メディアのQuickTime書き出しのプリセットとして、GoPro CineFormを使うものが提供されています。
実際、ちょこっと使ってみましたが、エンコードも軽く、画質もいいです。 Apple ProResの代替として十分だと思います。
ただ、問題なのは、PremiereやAEなどアドビのソフトじゃないと再生できないという点です。「軽いプレイヤーでちょっと確認」ということが面倒です。

●他の選択肢
要は、Windows、Mac 両環境で使用できる高画質高圧縮のコーデックがあればいいので、
グラスバレーの「Grass Valley Codec」 https://pro.grassvalley.jp/download/gv_codec_option.htm
もポピュラーな選択肢です。
Win環境からDVDのプレス工場へ持ち込む場合、このコーデックが推奨される場合もありますね。

いずれにしても、中間コーデックや納品用のコーデックは「相手先」がある話なので、なにかと面倒くさいです。

一般的なユーザーにとっては、特にWindows10になって、QTプレイヤーのお世話になる機会も減っているので大して影響はないと思うのですが、プロ用途だと、なにげに地味に役立っていたんですよね、QTプレイヤー。
この突然梯子を外す対応、ああ、やっぱりAppleっぽいわ。

追加参考リンク

http://internet.watch.impress.co.jp/docs/news/20160419_754048.html

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