感想文:「断片的なものの社会学」
「断片的なものの社会学」(岸政彦)という本を読みました。Kindle版です。
前々から評判を聞いて気になっていたのです。
社会的なマイノリティをインタビューしながら研究を進める社会学者が、その体験の中で得た「なんだかもやっとする瞬間」を書き連ねた本です。
社会学の本というより、不思議な感覚で読めるおもしろいエッセイだと思います。
冒頭近くに出てくるのは、こんなエピソード。
沖縄である人にインタビューしていると、その途中で、庭の方から「お父さん、犬が死んでるよ」という声がして、その取材対象のお父さんは、一瞬ことばを切ったが、また何事もなかったかのように続きを話し始めた。
というもの。
このエピソードで、なんか、ぐっと引き込まれました。良質な怪談をこっそり聞かされたようなショックです。
居間でその家のお父さんにインタビューしている、その時、庭の犬小屋で(かどうかわかりませんが)その家の犬が死んでいる、それを息子が見ている。でも、父はそれを十分わかりながら、何事もなかったように話の続きをはじめる。
なんだか、きまずいような、どう反応していいかわからなくなる瞬間です。
だからどうだとこうこともない、そういう体験を別に解釈するでもなく、ただ味わって、なんだか戸惑っている。
この本は、こんな感じのなんだか胸のざわつく、結論の出ない、宙吊りの体験がたくさんでてきます。
そこには、なにか、はかなさと同時に、切なさがあって、ちょっと胸がきゅんとする。
著者は、この世界はこのような断片の集まりで出来ているといいます。
本書の中で、著者が書いている自分のエピソードがあります。
子供のころ、そこらへんの小石をひろっては、そこにたまたまあった、しかも世界中に大量にある、何者でもない小石が、ひろったとたんに「この石」に変化してしまう「とほうもなさ」にうっとりしていたというのです。
この感覚は、よくわかるような気がします。
偶然何かにかかわり持ってしまった一期一会の話ではなく、拾わなかった膨大な数の「ほかの石」のとほうもない規模に呆然とする感覚だと思います。自分の外側にある世界の漠然とした、そして、とほうもない広さに呆然とする…たった一個の石を拾うだけなのに、なんだか宇宙空間に放り出されたような気分になる。
不思議、味わい深い本でした。
なんか、似たような感覚を味わったことがある、しかも大好きな作家で…と思ったら、内田百閒の「冥土」でした。質感がちょっと似ています。
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