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2016年6月

2016年6月 8日 (水)

サーモス VECLOS 真空ワイヤレスポータブルスピーカー

今日は、超小型ワイアレススピーカーのレビューです。
魔法瓶のメーカーがその真空技術を使って作った真新しいオーディオ。
ステレオバージョンもありますが、より手軽なモノラルバージョンを使っています。ほとんど仕事のBGMです。
これは、「ちょっと変わった&気持ちの良い音」のするスピーカーだと思います。

ハウジングの内側に真空の層をつくり、スピーカーユニットの後ろ側から発生する振動を吸収させることで、クリアかつ超小型のスピーカーを実現したというもの。まさしく、小型魔法瓶の一端にスピーカーを取り付けた構造をしています。
Bluetoothでプレイヤーデバイスと接続します(いちおうアナログのAUXインもついてます)

この音をどう表現すれば適切なのか、ずっと考えていたのですが、思いついたのは「音楽の精巧なミニチュアが鳴っているという印象」というものです。
わかりにくい言い方かもしれませんが、音楽を、グリコのおまけサイズまで縮小しているのにディティールがはしょられていなくて、ちゃんとちっちゃいネジまで再現してあるじゃん、という感じ。音楽のパーツの細部まで聞こえます。
さすがにこのサイズでは、豊かな音にひたる…というのは無理ですが(モノラルバージョンですしね)、それにしても、ちゃんと全部きこえるぞ!という感じ。この感じは独特です。

あと、ボーカル域が豊かで声がきもちいいです。ジョアン・ジルベルト聴いてみましたが、文句なしにいいかんじです。バンドの音楽でも、イントロではちょっと物足りないかな、と感じられても、ボーカルが聞こえてきた瞬間に印象がガラッとかわります。

このスピーカーで音楽聞いていて思うのは、オーディオによる音の説得力のあり方には「迫力」以外の選択肢があるんだなあ、ということ。小さいのに無理して迫力を装う、ありがちな音とはかなり方向性が違います。
例えば、多分これはダメだろうと思ってレッド・ツェッペリン聴いてみましたが、意外にも結構聴けました。ギターやシンバルの音に芯があり、極小スピーカーにありがちな、ペラペラな感じがない。音に存在感があるということでしょうか。ボーカルの出がすごく良いのでロバート・プラントもそのままの印象でシャウトします。アコギの音もしっかりしていますね。結構いい感じで聴けました、もちろんミニチュアサイズで、迫力はないんですが…。

あと、音のダイナミクスがごまかしなく再現されている感じで、のっぺり感がまったくありません。小さい音は小さく、大きな音は大きく、そのまま、このスピーカーのスケールに置き換えられて鳴っているという印象です。まさに音楽の精巧なミニチュアです。

面白いスピーカーです。このシリーズの今後の展開に注目したいと思います。
値段が少し高めなのが難ですが…5千円台だったら爆発的に売れそうな気がします。

追記)ほんとに軽い!缶コーヒーの重さです。

ステレオバージョン。レビューの評判も良いようですね。


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2016年6月 2日 (木)

感想文:「小説家という職業」

森博嗣著、「作家の収支」が面白かったので、その少し前に書かれた「小説家という職業」も読んでみました。


著者が作家という仕事をどう捉え、どう実践してきたのかについて書かれた本です。創作一般に対する考え方や、創作をビジネスとし実践する場合の「設計の仕方」が書いてあります。
ちょっと特殊な作家のごく個人的なあれこれなので、そのまま一般化するのはムリがあるかと思いますが、何かと啓発される記述があちこちに散りばめられて楽しめました。

著者は、だいたい一日2時間の執筆時間で、二週間ぐらいで1作を書き上げ、その後しばらく寝かして、同じ時間をかけて推敲するそうです。そして、それを規則的に繰り返して、小説を量産していました(この本の執筆時、すでに引退宣言をして執筆は一日1時間、年に一作)。
こうして、淡々と作品を生み出し続け、作家の生活を続けてきたのです。

この本には、出版界に対する、辛辣な苦言もたくさんかかれています。冷静なはずの理系作家が、その部分になると、ぐっと記述が熱くなる……というのがちょっとほほえましい。
色々忸怩たる案件があったのかなあ。

なるほどな、と思ったのは、「小説家は滅びない」という主張です。出版社や取次、書店がいくらつぶれようが、小説を読みたい読者がある一定数存在しさえすれば、作家は安泰だというのです。
なにより小説家はたったひとりですべてを書き上げるため創作のためのコストが最小、設備投資もいらず、人件費もいりません。自分一人で書き上げ、収入はすべて自分のものです。
出版不況がさらに悪化し、出版社や流通がアウトになっても、文字が作家から読者へと流通すればいいのですから、ネットを使った配信と課金にシフトすればいいし、それが自然な姿だろう、ということ。これには、納得できます。

それと、創作をビジネスとして行う、というとハリウッドの映画ビジネスのように、大勢の人間が動いてしっかりマーケティングをやり、必ず売れるものを、工業製品のように創作するというイメージが浮かびますが、森博嗣の主張ははどうも、まったく逆です。むしろ小説ユーザーを数が限られたマイナーな存在としてとらえ、そこに深く切り込み、長く付き合うには、作家は真に自由に書き、小説としての凄みを持つべきだと書いています。マーケティングは意味がない。これらの知見はある意味、とても現代的だと思います。
著者は案外、方法論や仕事を遂行する姿勢が異なっているだけで、実は昔ながらの「小説業」を真摯にやっているだけなのだな、と思いました。

本書もまた、目先の変わったコンテンツ・ビジネス論として読むとおもしろいです。
ちなみに、私、森博嗣の小説は、多分ですが、「すべてがFになる」を読んだだけ(それもカミさんから借りて)です。小説も少し読んでみようかな。


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2016年6月 1日 (水)

大魔神怒る

前作に引き続き、カミさんがCS経由で捕獲したものを鑑賞。
ストーリーは前作同様、悪者城主が、近隣の豊かな土地を羨み、力づくで自分のものにしようとするが、これまた大魔神の怒りにふれて、ぶっころされるというもの。美しくも残酷な一本の糸にそって、するすると話が流れていきます。

監督は時代劇の巨匠、三隅研次。前作の大ヒットを受けて、特に特撮のテコ入れがすごい!
大量の水とガスを使った大魔神出現シーンなどは、いま見ても、というか、今見てだからこそ、よくやったなあ、これ、という大迫力ものです。
こういう特撮の「手応え」というのは、もう、現在の映画では望んでも得られない、贅沢なものになってしまいました。

ウィキをみたら、封切り時の併映は、「座頭市海を渡る


こんな二本立て、もし見たら大満足だろうなあ。
というか、多分見てるんだと思うんだ…子供だったから大魔神のほうしか覚えていないんだったろうな。

今のニッポンの状況からすると、大魔神そろそろ出てくるかもな。その姿が大地震じゃないことを祈る。

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