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2016年6月 2日 (木)

感想文:「小説家という職業」

森博嗣著、「作家の収支」が面白かったので、その少し前に書かれた「小説家という職業」も読んでみました。


著者が作家という仕事をどう捉え、どう実践してきたのかについて書かれた本です。創作一般に対する考え方や、創作をビジネスとし実践する場合の「設計の仕方」が書いてあります。
ちょっと特殊な作家のごく個人的なあれこれなので、そのまま一般化するのはムリがあるかと思いますが、何かと啓発される記述があちこちに散りばめられて楽しめました。

著者は、だいたい一日2時間の執筆時間で、二週間ぐらいで1作を書き上げ、その後しばらく寝かして、同じ時間をかけて推敲するそうです。そして、それを規則的に繰り返して、小説を量産していました(この本の執筆時、すでに引退宣言をして執筆は一日1時間、年に一作)。
こうして、淡々と作品を生み出し続け、作家の生活を続けてきたのです。

この本には、出版界に対する、辛辣な苦言もたくさんかかれています。冷静なはずの理系作家が、その部分になると、ぐっと記述が熱くなる……というのがちょっとほほえましい。
色々忸怩たる案件があったのかなあ。

なるほどな、と思ったのは、「小説家は滅びない」という主張です。出版社や取次、書店がいくらつぶれようが、小説を読みたい読者がある一定数存在しさえすれば、作家は安泰だというのです。
なにより小説家はたったひとりですべてを書き上げるため創作のためのコストが最小、設備投資もいらず、人件費もいりません。自分一人で書き上げ、収入はすべて自分のものです。
出版不況がさらに悪化し、出版社や流通がアウトになっても、文字が作家から読者へと流通すればいいのですから、ネットを使った配信と課金にシフトすればいいし、それが自然な姿だろう、ということ。これには、納得できます。

それと、創作をビジネスとして行う、というとハリウッドの映画ビジネスのように、大勢の人間が動いてしっかりマーケティングをやり、必ず売れるものを、工業製品のように創作するというイメージが浮かびますが、森博嗣の主張ははどうも、まったく逆です。むしろ小説ユーザーを数が限られたマイナーな存在としてとらえ、そこに深く切り込み、長く付き合うには、作家は真に自由に書き、小説としての凄みを持つべきだと書いています。マーケティングは意味がない。これらの知見はある意味、とても現代的だと思います。
著者は案外、方法論や仕事を遂行する姿勢が異なっているだけで、実は昔ながらの「小説業」を真摯にやっているだけなのだな、と思いました。

本書もまた、目先の変わったコンテンツ・ビジネス論として読むとおもしろいです。
ちなみに、私、森博嗣の小説は、多分ですが、「すべてがFになる」を読んだだけ(それもカミさんから借りて)です。小説も少し読んでみようかな。


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