映像制作/演出

2015年1月 4日 (日)

「手作り動画メソッド」開発計画

あけましておめでとうございます。

昨年は、公私ともども次々に色々な事が起こり、消耗の年でした。
休日もろくに取れずに、年末あたりは、感覚も若干摩耗して「愉しんで何かをする」事も苦手な状態になっていました。まずいまずい、まずいです。眉間の皺も深くなったような気さえするのです。

で…。

新しい年は、新心機一転、自分を愉しませる事に重点を置きたいと思います。
仕事も愉しんでする、それにつきますね!
年始のおみくじも、まんまと大吉でございました。

さて、久々に、映像制作について書きたいと思います。
(ブログ更新自体が久々ではありますが…)

今、何回目かの「Web動画キタ!」という状況にあるようです。
かつて、YouTubeの日本語版がスタートした時、そして、「リッチコンテンツ」バブルの時、そして、今。
今の動画ブームのもっとも大きな特徴は、「物珍しさ」と無縁だという事だと思います。やっと、ごく当たり前にネット上で動画が活用されるようになった、という事でしょう。写真と同じように映像がつかわれるようになった。
ネット上で動画を使ったプロモーションや、動画広告も活況を呈しています。

今の動画プロモーションや動画広告の状況やレビューをみていて感じるのは、インターネットの最も基本的な特徴「誰でも何かを表現できる」という部分が抜け落ちている、という事です。大広告主が代理店を使ってしかけた成功例や、コストのかかる動画広告の効果測定、バズった動画のレビューなどばかりが目立ちます。

Web上で動画を使う事の、もっとも大きくかつ画期的なものは、「どこからでも動画をみてもらえる/見せる事ができる」という事でしょう。それは、YouTubeに動画が1本あがっていさえすれば、誰でも享受できるメリットです。
ホームページから見せるのはもちろん、営業マンが出先でスマフォを使ってみせる、メールでURLを連絡して見てもらう、SNSで共有したり、拡散してもらう、など、ネット上の動画のメリットはたくさんあります。
そして、動画の動画らしい最も基本的な特徴は「動く/音も出る」という点です。そして、見てみるまでそれがどんな内容か分からない、「わくわく」感があるメディアであることも特徴です。つまり「見てようか」という気になりやすいメディアなのです。これが写真やテキストとの大きな違いでしょう。
予算のない中小企業やお店などがこうしたWEb動画をしっかり活用できる事が本当の「Web動画」時代という事になるのでは?と思うのです。

そのためには、撮影や編集といった一般の方にはちょっと「ムズカしい」作業をなるべく簡単にできるためのルールや、メソッド、テンプレートなどの開発が必要な気がしていて、そのあたりも、映像プロダクションの仕事の一つなのではないか、と思い始めています。見てみるまでは内容がよくわからない動画を、せっかく見てもらって「少なくともがっかりさせない」ための最小限の作法みたいなもの。
まだ、ネーミングは考え中ですが「手作り動画メソッド」みたいなもので、今年のライフワークのひとつにしたいと思います。

もともと僕は、ディレクターとして独自の映像表現を追求したい…もそうなんですが、その前に「映像の基本的習性」のようなものにとても興味があります。目の前にあるものにカメラに向けて時間軸ごと記録する、そしてそれを切り貼りする、という事から生まれる映像の基本性能そのものをよく知りたいと思い、これまで30年近くも色々なことを考えてきました。先の「手作り動画メソッド」の中で、それが活かせるんじゃないか、と思っています。

それに、今は10年前とはまるで違う映像制作環境にあります。今もっとも身近なビデオカメラはスマートフォンでしょう。そしてその画質や音質は、もはや「いくらなんでもオーバースペック」といっていいほどに高まっています。編集環境も無料のものがそれこそ色々あるし、性能もちょっとした「商品紹介」程度の製作物なら充分です。もうハードウエア・ソフトウエア、そしてネットワークの環境は「ネット上で動画を普通にブイブイ使う」事ができるようになっているのに、いまだに「どうすれば出来るの?」という情報が充分行き渡っているとは言えません。まったくもって、もったいない事です。

いわゆる、クリエイターの皆さんは、それぞれに苦労して表現するわけですから、情報は自分で調べるべきだし、試行錯誤こそが表現活動の源泉である以上、てっとりばやく便利な方法を知る必要もないでしょう。勝手にどんどん行くべし、悩むべし。でも、企業の営業マンや、商店主や、小さなメーカーの広報マンは、別に「動画で自己表現」したいわけではありません。
本業の傍ら、ちょっとした工夫で「動画を作って営業に役立てたい」だけです。ならば、そのためのノウハウが情報として流通していてしかるべきだな、と思うわけです。

動画制作物のハードルの最初の難関は「見ていてイヤじゃないものにする」という点だと思います。色々な意味での「ノイズ」をいかに排してみやすくするか、そこさえクリアできれば、動画は機能しはじめます。しかし、何が「イヤ」にさせているのか、実は意外にわかりにくく、そこに最大のコツがあります。見る人を「イヤ」にさせるノイズは撮影に関するものもあるし、音に関するものも、そして、構成に関するものもあります。それは「分かりやすい文章の書き方」のように、わかりやすいハウトウにできるものだと考えています。

情報提供の方法は、今まだ、検討中ですが、春までにはなんらかの形でプロジェクトを始めたいと思っています。

ええと、それでは、皆様、本年もよろしくお願いいたします。

最後に、昨年の血のにじむ作業の成果のひとつ、コイツもよひとつろしくお願いいたします!ありがたい事に、結構ご好評いただいているようです。

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2013年2月24日 (日)

映像ディレクションの作法

今日の東京はゴンゴン北風ふいてますね。
今年はなかなか暖かくなりませんな。

先週、映像の下位置テロップについてしつこく考えていて、そういえば、ディレクションの細かい異についてしつこめに考えてみたシリーズとというのを書いていたなあ、と思いだしたのでした。10本ぐらいは書きたいな、とおもいつつ、ネタが切れたのか忙しくなってしまったのか、いつのまにか立ち消えになってしまいました。
で、今回は、その時に書いたものをリンク集にしてみました。
2009年ぐらいに書いたエントリ集です。

■映像ディレクションの作法/スジ
そもそも映像のディレクションってなにすること?という問いについて答えを考えてみた。

■映像ディレクションの作法/オーバーラップ
もっとも一般的な映像トランジッションであるオーバーラップ(ディゾルブ)について細かいことを考えてみた。


■映像ディレクションの作法/フェード
ふだん何気なく使うフェードイン、フェードアウトについてその効果の駆動原理みたいなものを細かく考えてみた。


■映像ディレクションの作法/ズーム
ズームレンズを使った撮影について、というより、編集時におけるズームショットの取扱いについて、かな。

■映像ディレクションの作法/つながるように撮る
映像的なスジを通すためには、つながってないといけないわけなんだけど、じゃあ、具体的に何がつながっていればいいの?みたいな事。

■映像ディレクションの作法/イマジナリーライン
イマジナリーラインについても一応おさえておいた。

あと一応、先週書いたテロップもリストに入れておきます。
■文字と映像
映像の中の「文字」について基本的な考え方など。

■続・文字と映像(下位置テロップ)
もっとも一般的な「下位置テロップ」についての考察。

ーーー
ときどき、以前書いたエントリを発掘してみるのもいいですね、らくだし(笑)。

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2010年1月24日 (日)

映像ディレクションの作法/イマジナリーライン

ぼちぼち梅の花が咲いてきました。
さて、ディレクションの技法について細かく考えるシリーズ。
「繋がるように撮る」の続編という事で、今回は「イマジナリーライン」についてです。

あるカットとあるカットが繋がる予定になっている場合、先行カットと後続カットで被写体の方向性や位置関係が混乱しないように、と考案されたのが「イマジナリーライン」です。短くして単に「ライン」とだけ言う場合もあります。
図にするとわかりやすいの下記ごらんください。
Il_1
これは、よくイマジナリーラインを説明する際に登場する図で、向かい合った二人の人物の間に存在するラインを示したものです。AさんとBさんが向い合っている2ショットを撮影中の図。
この場合のイマジナリーラインは二人を鼻を結ぶ線になります。
カメラが1の場所から二人の2ショットを撮ると、画面の中ではAさんは下手、Bさんは上手に位置することになります。
これはカメラが2の場所に移動しても変わりません。画面に対して奥と手前の関係は逆になりますが、位置関係は、相変わらずAさんは下手、Bさんは上手です。
ところが、イマジナリーラインをまたいで、カメラが3の位置に移動すると、位置関係が逆転してAさんが上手、Bさんが下手になります。
このようにイマジナリーラインを越えて撮影すると、二人の位置関係がフレームの中で左右逆転していまいます。なので、通常、直結するカットを撮る場合には、このラインを越えてはならぬ、とされています。

もうひとつのケースを見てみます。基本は同じなんですが。
Il_2
これは、フレームの中には人物がひとりだけいます。
この場合は、人物の前後方向にラインが引かれます。鼻と後頭部を結ぶ延長線上にラインがある。この人が歩いているとすると進行方向にイマジナリーラインがある、という事になります。
これを越えて撮影すると、人物の向きがフレームの中で逆転します。
1や2の位置で撮影するとAさんは上手を向いているわけですが、3の位置で撮影すると下手を向いてしまいます。歩いているならば進行方向が逆に見えてしまうわけです。
これは車や電車に対しても適用できますね。

この二つが、イマジナリーラインの基本的なあり方です。
つまり、位置関係と方向性を統一させるためのツールです。

普通、このイマジナリーラインは、カメラマンが管理すべきものといわれていますが、もちろん、ディレクターも知っているべき事柄だと思います。

ドラマ的なものでは、人物の位置関係や方向性は重要なのでイマジナリーラインは十分に意識する必要があるし、旅ものなど、人物の移動そのものがテーマになるような場合も意識する必要があるでしょう。
また、ENGスタイルでの取材など、カメラの主観(というか目線)が主役になる場合では、ラインを意識する場面はほとんどないでしょう。

イマジナリーラインというのは、今まで見てきたように、理論なんていうものじゃなく、ひとつの「法則」というか「現象のようなもの」です。
ですので、四の五の言わずにそれを「どう使うか」が重要です。
基本的には、つながるカット同士はイマジナリーラインをまたいで撮影していけない、とされていますが、これもその「使い方」のひとつに過ぎません。

流れを一区切りさせたり、そのカットを強調したいような場合にあえてラインをまたぐと効果的な場合があるし、さらに、「混乱させたい」場合には、意識的にラインをまたいだ構成は効果的です。

また、位置や方向性を混乱させたくないのに、様々な事情でラインをまたがざるを得ない場合には、一度インサートカットを挟む、とか一度ライン上の正面カットを挟む、とか、そもそもカット割りをせずにカット内でラインをまたぐ、とか、視覚的混乱を生じないようにまたぐ基本的な対処方法がいくつかあります。

イマジナリーラインは、要は「規則」というより、視覚的効果を作り出すためのツールのひとつなわけです。
あまりに意識しすぎるとどのカメラ位置もありきたりなものになってしまうし、逆に意識しないと簡単に人物の位置関係や方向性は混乱してしまいます。

僕がよくやるのは、インタビューを複数のカメラで収録する場合、カメラの1台をラインをまたいだ位置に設置するという方法です。こうしておいて、話題のくぎりや強調したいフレーズ部分に、ライン越えのカットを使います。そのカットで目線の方向が変わるので、単調なワンショットの連続にちょっとしたアクセントを加える事ができるわけです。

何年か前に、テレビである映画監督が、「撮影の時、カメラマンがラインにうるさくて困った」みたいな話をしていて、さらに「ライン超えなんて編集でどうにでもなるんですよ」というような事を言っていました。
確かにそうです。
特に、マルチでカメラが回っている場合には、現場のラインがどうのというより、編集で解決したほうがうまく行くと思います。もちろん、編集の技量があっての事ですが。

今回、イマジナリーラインの解釈方法など微妙な話を書こうと思っていたのですが、基本編で終わってしまいました。応用編に関してはまたそのうち書こうと思います。

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2009年11月30日 (月)

「模型道場-戦車模型の作り方」DVD発売

もう12月になります。年末までカウントダウン段階ですね。
今年のまとめは、もう少し先にするとして...。

さて、先にご案内したイメージメカニックLLPオリジナルDVDソフト「模型道場-戦車模型の作り方(基本編)」が発売になりました。
同時に、一目瞭然DVD直販サイト
www.ichimoku-dvd.com
もオープンしました。
これは、FC2のカートサービスを使っています。このカート、独自ドメインにしたので有料ですが、無料サービスもあります。
しかし、ネット上で何かを始めるためのコストは爆裂的!に下がっていますね。

売れ行きに関しては、年末にかけて、どこかの財務相じゃないですが、「緊張して注視(笑)」していこうと思います。
12月の半ばには専門誌に広告と記事が載るのでそこからの展開を期待しているのですが。
YouTubeの方は未収録映像をぽつぽつアップロードしはじめました。

今日、さっそくアマゾンで買って頂いた方(タイミングからすると発売前に予約してしいただいたのではないかと思います)から、アンケートはがきが届きました。50円切手をわざわざ貼って送ってくださるとはありがたい。かなり満足していただけたようで、うれしい限りです。こういう事は、企業関係の仕事では得難い体験です。

んー、しかし、円高に株安にデフレか~。
クライアントがメーカー企業が多いので、またまたキビシイ状況になってきています...。
ひとまず、粛々と、というのが行動規範かなー。

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2009年11月18日 (水)

映像ディレクションの作法/つながるように撮る

めっきり気温が下がってまいりました。新型じゃないインフルエンザにも気をつけねば。

えー、映像ディレクションの基本を考えてみようシリーズ、今回は、撮影時のディレクションについて。
ディレクターに必要な、撮影現場でのスキルが「つながるように撮る」です。
撮影した後、当然編集するわけですが、そのときに繋がるように撮っておかなければいけません。
...という事を考える前に、「繋がる」とはどういう事か、を考えます。

カットがちゃんとつながっているという状態とは、映像演出の常識的には、「違和感なく繋がっている」という意味です。
つまり、「あ、カット変わった」と観客に意識されない、違和感のないつながりという事になります。
違和感無くカットがつながるためには、一般的に次の2つの条件が必要だとされています。

ひとつは「被写体やサイズが違うこと」です。
先行カットがある人物のフルショットだったら、次のカットは別の人やモノのカットに行くか(カットアウエイ)、同じ人物のサイズの違うカット(マッチカット)じゃないとつながりません。
別の言い方をすると「同じ被写体の同じサイズ同士は繋がらない」という事になります(いわゆる同ポジ問題)。

もう一つは「方向性と位置関係が混乱しない事」です。いわゆるイマジナリーラインの問題ですね。
イマジナリーラインについては、ちょっとややこしいのでまたエントリをあらためるとしますが、簡単に言うと、カットが変わったとたんに、被写体の「向き」が変わったようにみえたり、「位置関係」がひっくりかえったように見えるカッティングは「つながらない」わけです。編集時、というよりは撮影時に留意すべき事柄ですね。それを判断するためのツールがイマジナリーラインです。

で、今回はこのひとつめの「サイズ」における、つながるつながらないについて。
基本は「同じ被写体の同じサイズ同士はつながらない」です。なので、撮影時に今撮っているカットがどのカットにつながるのかを考えてサイズを調整する必要があります。
しかし、ドラマ作品なら計画的に進めていけますが、取材の場合はそうもいきません。たいていは、つなぎの可能性をその場でいくつかざっとイメージして、寄りと引きと2タイプ撮ったり、一応ズームしておいたりするわけです。

具体的には例えばこんな事です。
ある作業をしている人を撮影するとします。
最終的な仕上がりは、その作業一連をダイジェストとして見せたい。
この場合、まず作業一連を引いたカットで押さえ、その後でもう一回同じ事をやってもらって、ポイントポイントをアップで撮影しつつ、顔の表情などのインサートカットも押さえる。
こうしておけば、引きと寄りを使って自由に作業をダイジェストできるわけです。一発勝負の場合は、2カメ以上を用意してで寄りと引きを同時に収録します。
こうしてひとつの被写体について、サイズのバリエーションを用意することで、編集時の自由度を確保します。これで、引きから寄りに推移する説明的な繋ぎも出来るし、寄りから入って引きに展開する意外性を持った繋ぎも可能になります。また、流れの省略や引き延ばしといった時間操作も編集によって可能になるわけです。
上記の方法は、取材だけじゃなく、ドラマ的なシチュエーションにも応用できます。

「同じ被写体の同じサイズはつながらない」わけですが、「違う被写体の同じサイズ」はどうでしょう。例えば、AさんとBさんのFS同士をつなげるような場合。この場合は「狙いによる」と思います。AさんがFSだったらBさんはBSなどサイズを変えたほうが自然ですが、両方FSであってもつながらない程不自然ではないでしょう。事実、こういう繋ぎは、小津安次郎の映画などではよく使われています。僕はちょっとした違和感を感じますが、そこが「小津映画っぽさ」を作る要因のひとつとも言えるでしょう。

...で、あうく忘れるところでしたが、実はもう一つ、繋がらないケースがあります。
それは、時間帯や色、光が繋がらないという場合。
同じシーンで直結するカットなのに、撮影の時間帯や天候が極端に異なってしまったために、画の雰囲気が繋がらなくなって違和感が出てくる場合があります。
多少色温度が違う、ぐらいならば編集の時にカラーコレクションすればいいのですが、明らかに影の出方が違う、とか光の雰囲気がまるで違う、といいう場合には、編集上の手当ではどうにもならない場合も、ままあります。
これは撮影のスケジューリングの時点で、違和感が出ない時間帯に撮影できるように配慮したり、そもそも時間帯に左右されないように照明で光を作るなどで対応するしかありません。
また、諸々の事情で「光が繋がらなくなってしまう」と予測される場合には、それが不自然には見えないように、構成(シナリオ)で工夫しておくとか、時間経過のための演出を別途用意しておく必要があります。まあこれも原則論で、編集の腕しだいでなんとかできてしまう場合も多いのですが。

この「つながるつながらない」は、多分に主観的な要素も、あるにはありますね。
基本が「自然に見えるように」ですから、その「自然」に感じるかどうかの感受性には、人によってグラデーションがあるし、時代時代のトレンドもあると思います。
また、「別に不自然でOK!」という場合もあるでしょうし、「逆に不自然にしたい!」ということもあります。
さらに言えば、「サイズが違うカット同士」というセオリーにのっとっていても、アングルやレンズにによっては「んー、なんか不自然...か?」という微妙なケースもありますね。例えばレンズの焦点距離が必然性もないのにあまりに違う場合などは、うまくは繋がりません。逆に、ほぼ同じサイズであってもアクションとのからみで問題なくつながってしまう場合もあります。

要は、ディレクターとして上記の基本ルールをどう「運用」するか、という事だと思います。
ルールを分かった上で、それをどう守るか、どう破るか、そこら辺で「センス」が問われる...というワケです。
基本のルールやセオリーは、知らないより、知っていた方が、より「自由になれる」というのはどんな分野でも言える事だと思いますね。

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<映像ディレクションの作法>シリーズ

ズーム

フェード

オーバーラップ

スジ

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2009年11月10日 (火)

一目瞭然DVDシリーズ/模型道場-戦車模型の作り方(基本編)

イメージメカニックLLPの今年最重要案件として制作をしていた作品がついに出来ました。

実は、自主制作、自主販売のプロジェクトをやっていまして、名づけて「一目瞭然DVD」シリーズ。自社製作のハウトウDVDのシリーズです。
その第一弾がこのほど完成し、今月27日発売の運びとなりました。
「模型道場-戦車模型の作り方(基本編)」です。
これは、ミリタリープラモの世界で著名なプロモデラー、仲田裕之氏の戦車模型作りの「手わざ」を収めた2枚組み5時間40分のDVD。イメージメカニックの相棒かつ制作主任の土田がプラモ(主にガンプラですが)好きで、彼の発案+プロデュースで実現したものです。

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「一目瞭然DVD」シリーズ

一目瞭然DVDシリーズとは、様々な趣味の世界をテーマに展開するイメージメカニックLLPのハウトウDVDシリーズです。「はしょらずに見せる」事にこだわり、体験するように学べる、映像によるハウトウの「究極」を目指しています。

模型道場-戦車模型の作り方(基本編)-

11月27日発売!

amazonにて予約受付中


YouTubeにてPV配信中

直販サイトichimoku-dvd.com(準備中)
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これを一目瞭然DVDシリーズとして今後、他のテーマ含めて展開していければなと思っています。
通常、プロダクションがこういう一般売りのコンテンツに参入する場合は、既存のメーカーに企画を持ち込んで予算を確保してもらい...となるのですが、今回のプロジェクトは、企画、制作からプレス、販売までをすべてイメージメカニックでまかなっています。
そうする理由は、企画自体がマイナーであっても、「ある程度ペイできる」と「自分たちで」踏んだらさっさと作ってしまう、という自由で軽快なモノ作りがしたかったからです。
メーカーに持ち込んだ企画を成立させるための手間や、様々な周辺の思惑とのやりとりをしているヒマに、さっさと作って欲しい人に見て欲しい、そういう単純な作り方、世に出し方を試してみたかったわけです。
もちろん、ターゲットとなる人たちに受け入れてもらうための計算は細かくやっていますが、すべて「自発的に」というところがキーで、エンドユーザーと自分たちの事だけ考えて作りたい、という。
多分、そういう映像作りがやれるのはわれわれ「プロダクション」だけですから。
農業の世界でも、最近は農協を通さずに「直販」を志向する農家が増えているといいます。映像だってそういう事ができてしかるべきですよね。一目瞭然DVDシリーズは、「映像の産直」の試みでもあります。
世の中の大きなシステムをわざわざよっこらしょと動かさなくても、身の回りの小さいシステムで何かできるんじゃないか、そんな事を考えています。
しばらく販売してみて、また状況ご報告します。
実際に可能性が見えてくるようであれば、「映像産直マニュアル」みたいなPDFも作ってみようかと思っています。乞うご期待!

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2009年11月 1日 (日)

映像ディレクションの作法/ズーム

秋深し、ディレクションの細かい部分を考えてみようシリーズ。
今回はズームです。

僕は、ズームはあまり使うほうではありません。
番組1本、単焦点レンズだけを使って撮る、というような事も十年ほど前はやってました。
今思うと、なぜそんなにズームが憎かったのか、とも思いますが、ともかく今回はディレクター的ズーム論をかいて行きたいと思います。

被写体は同じだとしても、演出的には引きの画と寄りの画は意味が全く違います、当然。
この引きと寄りをカットを割らずに、連続的に変化させるのがズームです。

ズームイン、これは、一般的には引きの画からある要素をピックアップしてそこに連続的に注目させるという場合に使います。群衆の中から一人の人物にズームインしていく、など。
それだけ考えると、情報量の多い状態から少ない状態へと遷移していくと思いがちですが、実はむしろ、情報量というよりも、情報のレイヤーを連続的に切り替えて行く、という効果だと思います。
群衆と見えていた情報から一人の人物がピックアップされることで、その人の年格好や表情といったティディールへと情報の次元が移り変わって行くのだと思います。
で、ズームアウトはその逆の遷移をしていきます。

で、僕はなぜズームをあまり使わないかというと、ひとつは単純に「なんかアカぬけない気がする」からです。
どうも、すぱっとカットを割ってしまっていいのに、そこがズームだったりするとまどろっこしい、ズームデュレーション分がムダ、どんくさい、という気がしてしまいます。
まあでも一般的にも、「しっかり撮ろうか」、という時にズーム多用、というのはあまりナイ気もしますね。
撮影現場でカメラマンが気を利かせてズームし、僕自身も「それもいいかな」と思った場合でも、編集時点ではカット頭とカット尻しか使っていない場合も多々あります。
もうひとつは、ズームショットは、なんか、被写体に向かう姿勢として安直な感じがしてしまう、というのものあります。同じポジションからズームレバーひとつで寄ったり引いたりするわけですので。
逆に言うと、すいすいズームを使って作ると軽みというか、お気楽な雰囲気を出すことが出来るので、意図的に軽くしたい場合など、突然ズームを多用、という事もないこともありません。

それ以外に使う場合といえば、ズーム以外では表現できないカットの場合(あたりまえか)です。
どういう場合かというと、例えば引きのカットから寄りのカットに行く時に、その切り替わりの時間を省略したくない場合です。ズームイン(ないしアウト)しているリアルタイムな時間の流れが重要な場合。 ライブ感が必要な場合です。
カット変わりには必ずなんらかの時間の省略がともないますから、そこをはしょっていない、そのままの時間軸の提示をしたい場合です。

これまで書いて来たのは、ズームの最初とズームの終わりがカット変わりのような機能をもっている場合ですが(そう考えるとズームはトランジションの一種とも考えられますね)、ズームにはこれ以外にも使い方があります。
それは、カットのサイズとしては例えば人物のBSなどで、じっくりズームインしていたりする場合です。サイズはズームの始まりと終わりはだいたい似ているので、先ほどの群衆から人物一人をズームで切り取る場合とは違って、カットの意味そのものは、カットアタマとカット尻で変わるようなことはありません。
この場合のズームは、意味を変えずに、カットの始まりから終わりまで、ある緊張感を持続させるような効果があります。これを上手いカメラマンがやるとカットによっては効果的ですね。こちらの演出はよくやるほうかもしれません。
何か動きのないものをじっくりズームしながらディティールを見て行くなど、こういう、「撮影の語り口」の一部として使われるズームは、さっぱりした被写体を何か有機的な、強いものに変える力を発揮する場合があります。
これはおそらく、カメラマンがその間ズームとピントを制御し続けている、という緊張感に由来するのでしょう。カメラマンの目になって被写体を見ている臨場感を醸し出す効果があるわけです。
クレーンやドリーを使ったショットのように、カメラの背後に人がいて操作することによって生まれる緊張感を、もっとも手軽に出せる手法のひとつがこういう場合のズームかもしれません。

そういえば、僕がまだ十代、8ミリフィルムカメラで撮影したり編集したりに夢中だったころ、夢が突然ズームしてびっくりしたことがありました。
もう一度、ズームする夢、見てみたいですね(笑)。もうムリでしょうけれど。

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2009年10月10日 (土)

映像ディレクションの作法/フェード

秋です、ディレクションの細かい部分を考えてみようシリーズ(微妙にキャッチフレーズ変わってますが)。
編集つながりで、今回は、フェードイン=FI、フェードアウト=FOです。これも結構深いですね。

これは、トランジションであるようで、ないようで、使い方は明快なんですが、ちょっと特別ななポジションにあると思います。
要は、まー、誰でもそう感じると思うのですが、シーンを始める時に使えるのがFIで終わる時に使えるのがFOです。
黒を使う黒フェードや、白を使う白フェードが一般的ですが、別の色を使う場合もごくたまにあります。
一連の流れの中で一区切りを「はっきり」宣言する効果が絶大です。
例えば、それがたった1カットだったとしても、FIしてFOすれば、独立した一つの「シーン」として成り立ってしまいます。よく考えると不思議で、これこそがフェードの意味だと思います。
フェードしきった黒や白の状態は言ってみれば「映像情報がゼロの状態」という事になります。100%あった映像情報が、この「情報ゼロ」に向かって減って行くのがFO、情報ゼロから次第に増えて100%になるのがFIです。

僕の考えでは、フェードインとフェードアウトはセットになっています。人間の感覚として、フェードアウトしたら、次はフェードインを期待する、そういう風になっていると思います。始まって終わる、と考えるとまずフェードインという感がしますが、基本はフェードアウトで始まってフェードインで終わるワンセット。
1 あるデュレーションでフェードアウト
2 所定のフレーム数の黒
3 あるデュレーションでフェードイン
これがワンセットでこの3要素のバランスが重要です。
作品の最初のフェードイン(フェードするならですが)と、ラストのフェードアウト(するなら)は、ペアのいない特例だと思います。
フェードアウトして、次はカットインする場合もありますが、これはフェードインのデュレーション0の状態、と僕は解釈しています。
ひとつひとつ見て行きましょう。

1は先行するシーンの終わりのフェードアウトです。
フェードアウトが始まると、見ている人は、意識するかしないかはともかく「フェードアウトが始まった」事を認識します。ここで、観客の生理に対して自然なデュレーションをとってあげればスムースに流れます。
自然なデュレーション、といっても漠然としていますが、いわゆる一般的な「ふつう」の、違和感のないデュレーションです、例えば1秒とか。僕の場合は1秒、やや急ぐ場合で20フレームぐらい。これが20フレームと半秒のディレクターもいると思います。いずれにしても、この「自分の中のデフォルト=標準的で自然なデュレーション」に対してどの程度調整しようか、という事になります。
より短くすると唐突に展開する感じが生まれ、より長いデュレーションだと、何か意図的な引き伸ばしというか思わせぶりが生まれます。

2は黒の長さ。
人間の感覚には余韻というかのりしろがあるので、フェードアウトしてもそれが完全に了解されるまでタイムラグがあります。FIとFOの間の黒(間)は、そのタイムラグをどう取り扱うか、に関わっています。
シーンの終了を視聴者にしっかり了解してもらってから、さて、と次シーンを始める場合には、十分な黒をとる必要があるし、事を急いでどんどん行きたい場合は1フレームでもいいでしょう。極端な場合数秒などもっと沢山とると重大な流れが「ほんっとに一区切りしました」という宣言になると同時に、その「間」に何か意味が宿ってきます。情報ゼロの状態なのに、そこに「この長い間の意味は?」と視聴者の脳が考え始めるわけです。1フレームから数フレームといった短い間にした場合、視覚的には区切りがついていると同時に生理的にはその変化についていけないためになんというか「切迫した」印象になります。

3は後続シーンの始まりのフェードインです。
これもデュレーションが重要で、先のフェードアウトと黒のデュレーションを「受けて」どうするか、という事になります。
たとえば、2秒ほどかけた長いフェードアウトの後十分過ぎる黒をとって、次のフェードインが15フレームだったとすると、じっくり終わって唐突に、視聴者の裏をかいた感じで始まる感じになるでしょう。長いフェードアウトと黒で作ったテンションとはまったく別のテンションが始まる、音楽でいえば「転調」したような展開というか。
逆に切迫した展開で突っ走ってきて、半秒でフェードアウト、黒1秒、そのあと2秒でフェードイン、というようなケースでは、唐突に終わった流れがいったん途切れ、また新たな大きな流れが始まる、という感じになります。
なにごとも無く1秒のFIと15フレームの黒、1秒のFI、とかならひっかかりも何もなく、シーンが終わって始まりましたよというスムースで平坦な説明になります。

これらのデュレーション、実際には結構相対的なもので、作品全体のテンポ感によるともいえますね。30杪の作品と60分の作品では基準になるデュレーションも違ってくるでしょう。

このあたり、落語や講談などの語りものテクニックと似たところがあると思います。
ひとつのシーンを語り終わって、「そして」とつなげてそのまま語っていくのか、「さて!」としっかり区切って続けるのか、何もなくさくさくすすんでいくのか、のような。

シーンの変わり目には色々あって、重要な変わり目もあれば、なにげない句読点のような小さな変わり目もあります。この変わり目の重要さや軽さを表現するためには、フェードアウト、黒、フェードアウトの各デュレーションの調整が役立つというわけです。同時に、シーン変遷のテンポ感を作る事ができます。

あと、BGMとのコンビネーションも重要です。
例えば、FIは音楽の入りに、FOは音楽の終わりに対応している場合。映像ではフェードでシーン終わりを宣言しておくと同時に、音楽でも同時にシーンの終わりを宣言しているわけで、とても「はっきりした」表現になります。
これを、音楽はつながっていながら映像はフェードイン、アウトすると、シーンのまとまりに階層ができるわけです。音楽は関連あるいくつかのシーンのまとまりを宣言し、フェードでは一段階こまかい個々のシーンを宣言する、という事ができて構成にふくらみが生まれる場合があります。

こうして細かく考えいくとわかるのですが、FO/黒/FIのセットは、一種の「段取り」です。なので、短いスパンでこれを繰り返しすぎると、うっとうしい感じになってしまいます。

もちろん、シーンの終わりと次のシーンの始まりをフェードしなくてはいけないというわけでもありません。
トランジションでシーンを変えることもできるし、普通にカットでつながっていてもしかるべき流れが出来ていればシーン変わりをわかってもらうことはできます。また、BGMや劇伴のつけ方でもシーン変わりは表現できます。
フェードを使う理由は、見も蓋も無いほど、誰にでも、はっきりわかって欲しい時や、流れをしっかり間仕切りしたい場合です。そういう意味ではとても強い表現、表現というより仕掛けのようなものだと思います。

音楽でも、フェードアウトして終わるような曲がありますが、映像のフェードアウトと音楽のフェードアウトでは意味が違います。
音楽の場合は「まだ続いている」のにフェードすることによって人工的に終わらせた、という感じ。音楽が終わる場合は「ジャーン」など、終わりそうな曲展開になっておわる、というのがデフォルト、FOはそこを聴かせずに終わらせるので途中で失礼します、という印象になる。まだ続いているナレーションが途中でフェードアウトするみたいなものです。
映像の場合は、フェードアウトすると、ほんとに終わってしまうんですね。楽曲のエンディングの「ジャーン」という終止感と同じ意味になると思います。

映像は、始まったら、終わりに向かって流れて行きます。映像を水の流れのようなものだとイメージすると、フェードは、その流れのしかるべきところにしつらえた「弁」とかバルブのようなものかもしれません。

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2009年9月26日 (土)

映像ディレクションの作法/オーバーラップ

このところ、実に秋です。ディレクションについて考えてみようシリーズ、今回は、編集に関することで。

唐突にオーバーラップ=OLについてです。
いうまでもなく最も一般的なトランジションの一つです。ディゾルブ(ドイツ語)ともいいますね、「そこ1秒でディゾって」とか動詞っぽくつかったりもします(今はあまりつかわないのかな)。
視覚効果としてはご存じのとおり、先行カットから後続カットへ二重露光になりながらなめらかに変化していき、カットつなぎの「ショック」を和らげる効果があります。
一応、アマチュア的な知識としてはこれで十分で、なめらかにしたいな~、という時に使えばいいんですが、これでお金をとるディレクターともなるとそうもいきません。
なぜここにOLが必要なのか、その意味(堅苦しく言うとOLする責任)を考える必要があるワケです。

もちろん純粋に視覚効果だけをねらって「なめらかがいいな~」で使用する場合もありますが、多くの場合、もうすこし厳密です。
OLには、視覚効果の他に、使うシチュエーションによって、大きく次のような「意味」ないし「機能」があります。
1 関連付ける
2 省略する
3 強調する

1の「関連付ける」はわかりやすいです。たとえば、建物の外観と中、とか関連の深いカットが「関連しているよ」ということを強調したいときに使えます。

2の「省略する」は、カットの内容によるんですが、たとえば一連の作業を撮影した素材をダイジェストしたような場合、工程が大き飛ぶところをOLするとその間に工程を省略したんだな、という感じがでます。またあるシーンの場所と次のシーンの場所が地理的に離れている場合、その切り替わりをOLすると場所移動を省略した、というニュアンスが生まれる場合もあります。

3の「強調する」は、何に対して強調できるかというと、カットつなぎに対してです。カットで進行してきたつなぎの中でここぞ、という部分をOLすると、その部分を「大事にした」的なニュアンスが出て、結果強調されます。

編集のシチュエーションによって、OLをどう機能させるか、僕にとっては編集中の大きなテーマの一つですね。

OLの使い方には他にもいろいろあります。
たとえば、カットを沢山詰め込みたいのに音楽がゆったりしているような場合。カット同士をすべてOLしていくと視覚的なテンポ感を弱める効果があります。
それとか、もったいぶったり、ちょっと「見足りない」感じをだしてじらしたり、期待感をあおったりするような場合にも有効ですね。パンしてきて視聴者が一番みたいアングルになったとたんにOLする、など、「語り口」の一部として効果的に使う事ができます。
たぶん、まだまだありますね、使うシチュエーションだけではなく、デュレーションの取り方しだいでもいろんなニュアンスが生まれるので。カット内容にもよりますが、デュレーションを極端に短くすると「なめらか」とは対極の「ショックを与える」トランジションとして使える場合さえあります。

他の派手なトランジションとは違って、オーバーラップはシンプルであるだけに、実に多機能で使いでのあるトランジションです。この使い方に精通すれば他のトランジションは一切いらないのではないかとさえ思います。

今は、OLを初めとしたトランジションは、ノンリニアソフト上で簡単に行えるので好きなだけトライアンドエラーが出来ます。いい時代ですね。テープ編集時代はOLするのにもテープをやりくったり、出しのデッキが足りなくなったりとか、色々すったもんだあったもんです。それだけにOLしてから「やっぱりやめます」は信用にかかわります。まー、そんなこともあって、その意味をよーく考えざるを得ないわけです。

編集というのは、情報を組み合わせる、組み立てることであると同時に「語る」ことでもあります。
編集の方法によって、ぶっきらぼうに無骨に語ることもできれば、繊細に語ることもできるし、華やかに語ることも、力強く語ることもできるわけです。
そういう語り口を作るうえで、このオーバーラップの多機能さは実に便利、有効です。

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2009年9月22日 (火)

映像ディレクションの作法/スジ

日が短くなりはじめるとあっという間ですね。今年は秋も早そうです。

先日、とあるプレゼンの企画書に、業務歴を書く欄があって、指折り数えてみると、あれ、もう25年?
フリーになってからでも20年以上になります。
そうか、と。
ここらで、映像のディレクションのことをまとめて考えてみるのもいいかな、と思ったわけです。秋ですし。
映像ディレクションといっても、なんというか総合的な技術なので、すぱっと割り切れるようなことが書けるわけではありませんが、つらつらと思いついたことを書いていこうと思います。

誰かに仕事のことを問われて答えにくいのが「ディレクターって何するひと?」というものです。
答えにくい質問です。でも質問する人は世間話の続きですからそんなに深い答えを期待しているわけじゃない。だから「映像作るときに建築の現場監督みたいに、あれこれ指示したりする仕事」と答えています。相手が年寄りだと「映画監督の小型版」みたいなことを言ってごまかしたり(笑)。

ディレクターは、いったい何をやっているのか、答えるとすると「映像情報にスジを通す」という仕事だと思います。
そのままでは個々の情報でしかないものを、スジをとおして、「伝わるように」していくために、様々なことを考えたり、実行したりする仕事です。
これは、映像じゃなくても色々な分野に存在する仕事です。出版物の編集でも、デザインでも、建築でも。それを映像について行うのがディレクターです。
おもしろくする、とか、きれいにする、とか、それもあるんですが、根本的には映像的なスジ通しだろうと。
いくらおもしろくても、きれいでも、スジが通らない演出は何も伝えることができません。
(おなじようにスジのとおらないデザインはカッコだけ、スジの違う建築は倒壊します)

この「スジ」、ロジックのスジを通す(構成やシナリオのスジ)、というのが一番わかりやすいものですが、それ以外にもいろいろあります。
たとえば、テンポよく畳み掛けることを要求しているシーンがあったとして、そのナレーションをじっくり読ませてしまったり、編集のテンポをタメてしまったりしては、時間軸の要になる「テンポ」のスジは滞ります。
また、明るくのびのびとした作品なのに、錆び色バックに古印体のタイトルでは意匠的なスジが通りません。
また、場合によっては、ロジックのスジを犠牲にして「勢い」のスジを立てる、というようなこともあるし、その逆も。
映像は情報の束のようなものなので、スジも何種類も同時に存在するわけです。
こういうのは初歩的な例ですが、こういうことを映像のあらゆるレベルで判断するのがディレクターの仕事です。

...と、僕は思っているのですが、実はディレクターとして成立するための「立ち方」はいろいろあると思うんです。それこそ、ここ一発の「かっこよさ」だけに長けることでプロのディレクターをやる人もいるだろうし、むしろ、シナリオを組み立てるところに重点を置いている人もいると思います。
ですので、あくまでこれは「私の」という事で、あまり一般性はないのかもしれません。

ただ、ずっとこの仕事をやってみて、自分が何をやっているのかを自分なりに分析してみると、「あーやっぱりスジ通しだな~」と思えます。

次回からは、もう少し演出のチマチマしたテクニカルな側面について書いていきたいなと思っています。
でえくがかんながけや、ノミ入れについて語るように書ければな、と思っていますが。

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