SIDE B 仕事

2013年1月 1日 (火)

わかりやすければしあわせか

新年あけましておめでとうございます。
2013年こそ、良い年でありますように!

年頭に「わかりやすさ」について考えました。

以前、国立科学博物館の仕事をしたおりに、研究者と展示情報の深度について度々話をしたのですが、最近、時々、その時の事を思い出します。
科学博物館などの展示をつくる場合、科学的な正確性と、展示としての「わかりやすさ」の葛藤が必ずあります。
難しい事をわかりやすくしてあげると展示にしても番組にしても人気が出ますが、しかしその反面、わかりやすくするためには、物事の単純化が必要になり、ともすれば、「不正確」な知識を与える事になります。
実際には、この間の調度良い頃合いをはかることになりますが、必ず、どうすっかな~、という難しい局面にぶつかります。
その時に、わかりやすさと正確さのどちらに転ぶかは、情報提供のコンセプトしだいです。
先の科博の場合は「正確さ」を取ることになるわけですが、それもまた全く正しい選択です。わかりやすくして不正確になるぐらいなら難解なままにしておく。

おそらく80年代ぐらいの民放情報番組の影響なのかなとも思いますが、世の中に「わかりにくい情報には価値がない」というような空気が流れていると思います。
つまり「理解出来ない情報は得ても意味がない」という誤解です。
だいたい、人間、そんな何でもかんでも理解できるわけもないし、知識を持っているわけでもない。
わからない、なんてことはごく当たり前の事なのにも関わらず。

確かに難しい事を簡単にすると「分かる」。わかると楽しいですね。しかし簡単にする事の中にはさっきも書いたように省略が含まれています。
とても難しい事をとても簡単にすればするほど省略も大きくなります。

難しい事をわかりやすくすることは大切な事ですが、同じように大切なのは、「何が難しいのか」を分かりやすく提示することでしょう。少なくともどの程度が省略されているのか、「カンタンな理解」の背後にある「難しさ」「理解しがたさ」を示しておく事も、ケースによっては重要な気がします。

来年以降、教育やハウトウといった分野にさらに力を入れて行こうと思っているのですが、この「難しさ」に関する態度というか、取り扱い方、みたいなものは大切な要素かなあ、と思っています。

まあ、もちろん、まずは、「わかりやすく」なければ情報としての商品価値はうまれないんですけど。ただ、その背後とか横に「難しさ」を忍ばせることで情報としてもより魅力的になるのでは、なんて事も考えます。
一時期「簡単で失敗しない」デジカメばかりだったのが「ちょっと工夫するといい写真が撮れる」カメラが増えてきていますね、それも「わかりやすさ=簡単さ」のペラペラ感じゃない、ある種の深みが求められている証なのかもしれない、という感じも。

ある高校の先生が書いた「わかりやすさ」についての考察。

「わかりやすさ」で思考停止

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2012年12月 2日 (日)

電子書籍ですが

ブログタイトル変え、一週間に一回更新、しますよ、しますとも。

というわけで、電子書籍です。
今、コンテンツ業界に関わっている人なら誰でも興味あると思われるのが電子書籍の日本での行く末だと思います。

ついにアマゾンでの電子書籍の販売も始まって、いよいよ本格的に、やっと何度目かの正直で「電子書籍元年」がおそらく来年始まってきます。

電子書籍の意味って何か、というと、出版社や書店からみると紙の本が電子書籍になって、収益や流通がどう変わるのか、だと思うし、読者からみると紙という重量のあるモノから重さも面積もないデータになったときに自分の読書体験がどう変わるのか、でしょう。今、主にその二つからしかあまり語られていない感じがします。

でも、広く「コンテンツ制作」という業界からみると、今まで結構敷居もたかくコスト高かった「出版物」を、比較的安価に、自由に作って配布できる環境ができてきた、今までやろうと思ってもなかなか手が出なかった出版物という新たな空き地が生まれたという事なんじゃないかと思います。
つまり、僕らのような映像系の分野から書籍が生まれたり、Webエディトリアルの分野から書籍が生まれる、さらに企業が好きに書籍を作ってしまう、というような事が生まれてきます。もちろん、個人も。

今までも、確かにPDFにしてしまえば出版物で、ダウンロードさせればいいじゃん、というワケなんですが、それではまだ電子書籍ではなく「PDFファイル」です。
「出版物を流通させる仕組み」と「電子書籍を本を読む感覚で楽しむ端末」があって初めて電子書籍なんだと思います。「PDFファイルをダウンロードしてください」というのと「電子書籍をどうぞ!」というのとでは、だいぶ意味が変わってくるよな、と思います。たとえ、やっている事が従来どおり「PDFでファイルを配布する」事であったとしても、その意味というか意義が変わってくる。

そう考えてくると、来年以降、ちょっと面白いな、と。「出版物を流通させる仕組み」と「電子書籍を本を読む感覚で楽しむ端末」の二つの要素が日本でも確立するからです。
いままで、例えば企業なり団体なりが、少し込み入った情報を伝えようと思った場合、webサイトではやはり限界があったりして、きちんと「書籍」として伝えたい、というニーズもあると思います。なにしろ、Webブラウザーというコンテンツのるつぼの中ではなく、書籍という単一パッケージの「中で」情報を伝えられる意義は大きいのではないでしょうか。
また、Webマガジンにアーカイブしてきたコンテンツを再利用する形で電子書籍化していく事にも結構可能性を感じるんです。

音楽の場合は、それまで「アルバム」という形でパッケージされていたものがダウンロード販売でバラ売りになる、という現象がありますが、電子書籍の場合はその逆で、パッケージされずにアーカーブだけされてきたデジタルコンテンツが再編集され電子書籍というパッケージになって再配信される、という事がおこるのではないか。

下の図は「電子書籍情報まとめノート」というサイトに掲載されている電子書籍業界地図ですが、電子書籍のかなり大きなインパクトが、実はここには書かれていない、出版業界とは関係ないところに生まれてくるんじゃないかと思うんです。


「電子書籍情報まとめノート」

なんか、わくわくしますね。大きな空き地ができて、そこで何して遊ぼうか、という感じ。
出版業界は電子書籍対応でいろいろ大変なんだろうと思いますが、なんにせよ、多様化することは良い事です。
僕は、世の中に絶対的に正しい事が一つだけあって、それは「多様化する事」「多様性」だと思っているので、とても良い事だな、と思います。
電子書籍という新しい流れをぜひ、楽しみたいし、仕事にもつなげていきたいものです。

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2012年7月 1日 (日)

「おもちゃ」と「自己責任」で仕事する世の中であるの事

もう、今年も半分過ぎました...。ブログの頻度、もう少し上げたいと思っているんですが...。

前に、こんなエントリを書きましたが、

映像制作周り雑感

この続きのようなというか、隣のようなものを書いてみました。
FaceBookのほうで色々ご意見いただいたりして、考えも少し深まった感じがするので。

やはり、「専門家」というものの立ち位置とか、プロとしてのプライド、アマチュアとの差別化など、いろんな面でいままでの「プロが成立して認知されるための基盤」が崩れてきているのは確かなようですね。

考えてみれば、技術革新というのはこういう転換点をいつも作り出します。
そして、こういう転換点が向かうのは、いつも決まって「安く、軽く、速く」という方向です。で、経験上は、この転換点に気づいた時に否定からはじめると失敗しがち、という気がしています。

例えば、かつてCGといえばワークステーションで制作するのが普通でしたが、90年代に入って出てきたパソコンで動くCGソフトを「おもちゃ」と言って相手にしなかった人。

ベーカム標準の時代に、Sonyがハンディカムの技術をベースに作った小さなPD系のDVCAMカメラを「おもちゃ」と言って関心を持たなかった人。

FCPはじめデスクトップビデオによる編集を「おもちゃ」といって無視してしまった人。

そういう人たちは、今「しまった!」と思っているのはないかな。
なぜなら、それらが全部、今の主流を形作っているからです。
つまり、かつての基準で言うところの「おもちゃ」で仕事をする時代になってしまった。
「おもちゃ」なんてすぐに淘汰されてしまうに決まっている、と思っていたら、逆に時代のほうが「おもちゃ」についてきてしまったわけです。

だから、やっぱり、安くて速くて軽いほうが結局勝ってしまうんですね。その延長線上に、今の映像制作環境があって、しかもそれはますますエスカレートしています。
合成写真作りたかったら、ラボに行くのじゃなくて、フォトショップやGIMP立ち上げればいいし、という。
こうしてツールが変わってくると、仕事をとりまく環境が変わってきます。人員の配置も変わってくるし、はみ出してしまう人もでてくるし、必要ないものも沢山でてきます。

例えば映像業界で言えば、かつては「テロップ専門の写植屋さん」という職種がありました。しかしそれは、ある時点でフォトショップにとってかわられ、ディレクターかアシスタントDか制作マンが自分でやる仕事になってしまいました。テロップ屋さんは廃業するか商売替えをして、たとえばCGフリップ屋さんなどになって生きて行くことになりました。職種そのものがなくなるのでプライドどころの騒ぎではありません。

そして、ワークフローの変化や、納品形態の変化、求められるクオリティの変化などがあれば、発注者や受注者の意識そのものも変わってくる。環境の変化の次にくるのは「アタマの中の変化」なんじゃないかと思います。
それが起こってきているんじゃないかな~。
今みたいな流れ(デジタル化)が見えてきた2000年ぐらいに、ぼんやりと予測されていた事がついに現実になってきたという気がします。

ツールが誰にでも使える「おもちゃ」的なものになり、一人の人間の技術的な守備範囲が広がってくると、仕事をする意識そのものが変わってくる...。守備範囲が広がるから実質「タイヘンになる」と同時に、その作業の「面白さややりがいに気づく」という面もあるわけです。

例えばディレクターである自分が撮影もするという場合、以前ならそれは越権行為であって、できたとしてもやっちゃいけない部類。そこにはカメラマンを尊重するという事もあるし、ディレクターとしての自分のプライドもある。ある種「どうしても仕方がないんだお金ないんだもん、ごめん」といっていやいややる事だったんだけど、今はどうなのか。

今は...むしろ、楽しかったりする...。
自己分析をしてみると、そういう事なのかもしれないですね。
産業構造が変わった以上、もはや、できるものならなんでも楽しんでやっちゃえばいいじゃん、もうそれでしか成り立たないんだから。というような感じ。

僕ら世代の映像屋感覚からすると開き直りに近いかもしれません。
そして、逆にカメラマンをやってきた人が突然編集やディレクターを始めるのを見ても「あの野郎Dなんて始めやがって」とは全然思いません。ちょっとタイヘンかもしれないけれど頑張ってね、としか思わない。

これまでの体制が壊れてしまった...!どうしよう...?から、もう、いっその事全部ぶっ壊しちゃって楽しもうよ、に変わってきた感じがします。
この「いっその事」感覚がいま、いよいよ重要かもしれない。
もちろん、壊れた体制から出来上がるクオリティは以前とは違ったものになるでしょう、が、しかし、今は評価軸そのものが変わってしまっていて、それはもう「以前」と比較する必要のない、新しいクオリティなんで、それをこれから作っていかなきゃいけない。
そう考えなければもうやっていけない気がします。

軽く、速く、おもちゃで仕事する...なんですが、でもまあ、逆に、というか、おもちゃで仕事するって、まわりを全部プロ仕様で固めるより遥かにシビアなんですよ...。新しいクオリティを自分で判断して進めていかなきゃいけないので。
かつては、専門家同士がお互いの仕事のクオリティを保障しあうという面がありましたが、個人がおもちゃで仕事するとなるとすべてが自分の責任です。
浮くも沈むも自分次第。漁師や博打打ち、用心棒の世界にますます近づいてきた。

これまで時間をかけて「人」が作ってきた洗練された制作現場を、デジタル化が、「野蛮」な状態にしてしまった、とも言えるのかなと思います。
デジタル化がさらなるヤクザな世界を広げている...かなあ。

おそらく、道具は違っても、状況としては60年代~70年代の、なんでも手探りで実験していた粗野な(と同時にチャレンジングな)状態に戻ったということなのではないか。
そういう状況では、この十数年間時間をかけてせっかく上達した技術とか、苦労して手に入れたノウハウでも、手放さざるをえないものや捨てちゃうべきものも出てくる(僕もこの10年間で色々捨てました)、と同時に新しく手に入れないといけないものとか、すでに捨ててしまってものの中から掘り起こさなければいけないものも出てくる。
色々、ゼロにもどして、装備や知識、作戦を組み替えないといけない時代だと思います。
やっかいな事になっちまったな~、でも面白がるしかない!なんかまあ、そんな事を最近思います。
やはり「荒野の素浪人」とかをちゃんと見て勉強するしかないな!ささくれだった状況の中で、峠の旦那は決してあきらめてないですからね。

そういえば、Twitterなんてのも、始めはコミュニケーションのおもちゃだったのに、今やもう、情報インフラのひとつになっているしなぁ。そういうことなんよね。

大仰な喩え話にすると、これまでは、「ちっちゃい恐竜が大型に進化して地球の覇者になった」という段階。今は「大型恐竜が環境に適応できなくなって大量絶滅しつつある状態」そしてこれからは「隅っこにひっそり生きてきたネズミのような哺乳類が恐竜にとってかわる状態」がやってくる。
その流れの中に、原発問題も、経済発展神話も、音楽業界出版業界映像業界の苦境ものっかっているんだと思います。

まぁ、世代によっては最後の恐竜として逃げ切れる人々もいるんでしょうが、僕ら世代はムリです、早く、次世代のネズミを育てないと...。

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2012年4月30日 (月)

映像制作周り雑感

このところ、ますます、映像制作まわりが変わって来ましたね。
機材の変化も、激変!といっていいぐらいですが、「作る→見せる」環境そのものが唸らざるをえないほどに変化したとおもいます。

■プロじゃなくても機能できる。
日常的にネット使っている人にとっては、映像というのは、Youtubeやユーストリームの事になっていて、テレビを見ていない人も増えているし、見る価値のある映像の定義が、以前とはだいぶ変わってきています。
「放送」ではなく、それこそ「共有」という言葉がぴったりくる映像供給がすっかり定着している中、もうそこには「映像のプロ」という概念は存在していなくて、プロが高価なカメラとスイッチャで配信してようと、素人がスマホで配信してようとそのコンテンツの本質的な価値にはあまり関係なくなっている。そこでは「プロの技術」は単なるオプションにすぎなくなっています。

映像を世の中に出すためには、もう、プロであったり、プロに発注する必要はありません。
そもそも、撮影機材が進歩(&低価格化)しているので、そこそこの映像なら簡単なコツを学んで、ちょっとセンスがあれば撮れてしまいます。
もともと、アマチュアの遊びのように見えていたネットの動画共有サービスが、かなり重要な情報インフラとして定着したと同時に、映像を作るコスト感とか手間感も大きく変わったと思います。
これは、映像を作って見せる、という行為が「ごく普通の事になった」ということなんだとおもいます。だから当然コストも下がるし、できれば自分でつくっちゃいたい、となる。

そういう中で、プロにできるのは「安定的に」「定められた期日で」「一般的なクオリティを逸脱しない」ものを作ることなのだと思います。なんか、非常に夢のないつまらないことですけれども。

なんていうか、クリエイティブであることと、プロ(=なりわい)であることがますます、本格的に乖離してきたのかなぁ。

■映像さえもワンストップで
もともと映像は、かなり狭い分野の専門家が協業して作るものでした。でも今はため息が出るほどに変わってしまいました。

僕はVPなら企画から始まって、FCPで完パケまで作ります。構成、演出に加えて、ポスプロ業務もやっているわけです。さらに、選曲とか音響効果も自分でやってしまう事も多くなりました。これが出来なければ、仕事は激減するでしょう。シナリオ書いて演出して終わりという人材は、よほどの大御所じゃないかぎり、今は難しいかもしれません。
最近では、撮影まで自分でやってしまうディレクターも増えています。僕にしても、ちょっとした撮り足しや取りこぼし、インタビュー、小物の物撮りなどは自分で回しちゃうかな、とケースも増えてきました。
逆に、カメラマンだけど演出もはじめた、みたいな人もいると思います。実際、技術会社に「制作一式できないか」という発注が増えているとも話も聞きます。

というわけで、以前に比べて一人の人間がやらなければならない仕事が増えてきているという現状があります。色々できなきゃめしが食えない、そういう時代だと思います。

専門家の定義が、例えば撮影の専門家、演出の専門家、というより、もう少し範囲が広がって「映像の専門家」というざっくりしたくくりになってきのかも。
今映像のプロとして成り立つためには、例えばディレクターというだけでは難しくて、「映像のことならあの人に頼めばなんとかしてくれる」みたいな「映像まわり仕事人」みたいなイメージじゃないといけないのかもしれない。一つの事を深く、クオリティ高く追求できる人よりも、あれこれ何でもそこそこのクオリティでやる人の方が仕事として需要があるのは確かだと思います。

なので、「ひとつの事のクオリティの追求」は、仕事をもらうんじゃなくて、自分のコストでやらなければいけない(少なくとも当分の間は)、とおもいます。

■「小さい方」の映像の可能性
「映画のデジタル化」が進んで、HDをはるかに超えて4kや8kといった大解像度での「大きな映像制作」が進んでいますが、その一方で、せいぜいSDに毛が生えた程度の解像度で小さな機材をつかって普通のノートPCで作ってネットで見せる映像が広がっています。
興味があるのはこの「小さい方」の映像作りがどこに行くんだろう、というところです。

大きいほうは、既存の映像制作のデジタル化、高度化なので、行き先は従来通りですが、小さい方はなんだか得体のしれない可能性があると(やっぱり)思うのです。

YouTubeが日本でサービスを開始した時の胸騒ぎのようなものが、Ustreamも加えていよいよ実体を現してきている、という気がします。さらに、ビデオカメラにもテレビ受像機にもなってしまう、スマートフォンの普及が拍車をかけています。
最近では、自主映画はもとより、テレビ番組をiPhoneだけで撮ってしまうといった、究極の「シュリンク作戦」も試みられているようで、多分その実験は成功し、ますます「小さく作る」傾向は強まるでしょう。

なんかあまりに過渡期すぎて、だからこうなる!というはっきりしたイメージがわかないのですが、何か新しい局面が見え始めているような気がしますね。

■ある意味原点回帰
最近、アマチュアが写真素材を販売できるストックフォトなんかも沢山あります。クリエイター登録して、簡単な審査に受かれば自分の写真やイラスト、動画なんかを販売できます。
もちろん、片手間の趣味で写真を売るわけだからそれでご飯を食べられるほどの収入にはならないわけですが(中にはきっちり事業化している人もいるようですが)、でも考えてみれば、もともと「ものづくり」は、手慰みだったり、楽しみだったり、日常的にちょっとしたものを上手に作って誰かに喜んでもらう、お礼になにか食べ物なんかをもらったり、みたいな営みだったんだじゃないか、と。その現代版が例えばそういうストックフォトだったり、いわゆるCGM的なコンテンツだったりするんじゃないかと思うんです。

「販売」がからむとついついギラギラと「ビジネスとしては」とか「いくら儲かるのか」とかいう話になってしまいますが、そこからふわっと商売っけを外してみると、今のネットとものづくりの関係は結構オモシロイ事になってきていると思うんです。
いままでプロだアマだ、ビジネスだ、というところに閉じ込められていたものづくりが、現代的な方法で開放されてきた、みたいにも見えます。

この先、食べるための仕事を別にしながら、ネットを使って自分の創作物を売って、月に数百円~数万円の収入を得るような層が増えていくのではないかと思います。
そういうものづくりの中に、本当に重要な意味を持つ表現や、社会に影響を与えるような作品や、学術的に価値のある発表が含まれていて、それを出版社や放送局がピックアップして収益化していく、みたいなこと。
もちろん、これまでもあった事ですが、それがもっと加速するのかな、と思います。
もともと、芸術家も学者も、職業としてあったわけじゃないですよね。今起こってきていることは創作や研究の先祖返り的なことなんじゃないかと思うのです。

■しかも安い
上記全体に関連している事情が、映像を作るためのコストが激減しているという事です。

映像とはちょっと違いますが、2年ほど前からカンブリア紀の生物をCG化して図鑑のようなものを作るという事をやっています。これにどれぐらいのコストがかかるかというと、ゼロ円です(収益は雀の涙ほどアフィリエイト収入がありますが)。
CGソフトはBlenderというオープンソースのものだし、ふだんMac版を使っていますが、リナックス版を使えばOSも無料になります。発表するためのプラットフォームは、シーサーの無料ブログ。
10年前には考えられなかった「コンテンツ制作・発表のローコスト化」が進んでいます。10年前に同じ事を同じクオリティでやろうとしたら、CGソフトだけでも数十万円覚悟しないといけません、ムリです。

映像に関しても、ちょっと前のコンパクトデジタルカメラでさえ、HD解像度のムービーが撮影できるし、画質もそこそこです。編集もぜいたくいわなければ、各種OSに付属してくる無料編集ソフトが使えるし、BGMが必要なら、無料でダウンロードできるフリー音源もあります。

こういう時代になってくると、映像制作でどう「面白く」なりわいをどうたてていくのか、考えどころが満載ですね。
少なくとも、かつての「なんにせよ映像は大掛かりでタイヘンなことをするからそれなりのコストかかります」という意識でやっていてはもうムリでしょう。かといって価格競争をすればいいかというと、それも行き止まりだと思います。
以前は映像制作は「制作の仕組み」を売っていたと思うのですが、これからは「その人」を売る、という、もっと個人的な営みになっていくのか...。それとも何かこれまでとは別の「仕組み」があるのか、おそらくその2方向を同時に研究していく必要があるんだろうと思います。

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2011年5月18日 (水)

DVD:「ビデオ取材の基礎 完全マスターガイド」 発売!

ほんっとに久しぶりに仕事関係のエントリです。

昨年の夏から準備を進め、震災直後に完成したDVDが発売になりました。

タイトルは...

「ビデオ取材の基礎 完全マスターガイド」

カメラマンをはじめ、ビデオの撮影スタッフに求められる基本的な技術を解説したDVDです。
対象としては、技術会社の新人教育やスタッフの基礎力再確認、あと映像関係の学校やゼミの教材、または映像業界を目指す学生さんや、スチール出身でこれからビデオも始めよう、といった周辺分野から映像業界を目指す方です。

イメージメカニック.LLPで企画し、映像業界誌の「ビデオα(写真工業出版社)」さん、NHKへの技術協力を行う「映像工房 魁」さんと協業してリリースしました。
発売は、ビデオαの写真工業出版さんです。

ご購入はこちら。

写真工業出版さんの通販サイトです。

ぜひ、ご検討いただければ!

このDVDでは、ビデオ取材に関する「キホン」を解説しています。
大きな特徴は、撮影だけではなく、ライティングの基礎や音声収録の基礎もあわせて解説している点です。最近はVEさんもカメラを回したり、音声とライトを兼ねて仕事したり、という現場のシュリンクというか専門分野の融合(?)が起こっていますので、単に「カメラマン入門」では意味がないだろう、という考えで作りました。
このDVD一枚で、撮影・照明・音声といった「ビデオ取材の技術あれこれ」ひととおり知ることができます。
特に照明の部分はずいぶん参考になる方もいると思います。

総合監修は、元NHKのエグゼクティブカメラマンの齋藤氏。キャリア40年の現役カメラマンです。
齋藤さんとは、十年近く前に一度仕事をご一緒させていただいて、今回、久々に再会となりました。
照明監修は齋藤さんの仕事仲間の関口技師。
お二人とも実に「現場の人」で、まさにに現場主義の実用的なノウハウを色々提供していただきました。

これを企画した背景ですが、ちょうどそのころ、現場でつまらないトラブルが続いたんです。
技術会社に発注しての撮影でしたが、ほんとにつまらないことで、レンズが引きボケしているのに気づかずに収録してしまって編集しようとしたらピンぼけだった、カメラマイクが生きていなくてノイズが録れてなかったり、ワイドコンバーターの径があわなくてどたばたしたり、など。
で、昔もこうだったかな~、と思ったわけです。もっとスタッフってしっかりしてたよな、と。基礎的な事がちゃんと教育できてないんじゃないかな~、と思っていたわけでした。
と、そのやさき、監修の齋藤さんがビデオαに書いた記事を読んだんです。それは、まさしく今回のDVDの狙いそのものの記事でした。
技術革新が進んで、ファイルベースの収録スタイルも定着してきた現在、ますますキホンの重要性が増している、といった内容だったんですが、それを読んで、「これだ!」と思ったわけです。

で、そのまま齋藤さんに企画を持って行き、ビデオαさんにも乗ってもらい、この企画が実現しました。
技術と監修が魁さん、制作まわり一式がイメージメカニック、販促販売が写真工業出版さんという事で、お互い専門分野のリソースを出し合って協業する、という実験的なスタイルを試しています。

収録+出演してくれた映像工房魁のみなさん、ありがとう。みなさん、震災絡みの取材に出てしまったりして打ち上げもできていませんが、この場をかりてお礼をば。

コチラ、PVです。


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2010年12月31日 (金)

2010年

もう年末ですねしかし。今日が仕事納めでした。
という訳で一応今年を振り返っておこうかなと思うのですが。

景気は相変わらず悪かったですね~。円高も急激に進行したので余計なのか。
おそらく、20代で仕事を初めてから最も景気の悪い1年でした。
秋に決算の件で税理士さんと会ったおり、開口一番「景気悪いですよね~」と切り出され、「景気はゆるやかに上向き、なんて、つくり話ですよ」という事に。
周りの、映像業界の仲間の状況を見回してみても、廃業同然のひと、会社の解散、なんかバイトやってる食ってるとか、かなりヤバいです。
特に、プロデューサーなど仕事の上流域に生息している人たちの生きにくさはかなりのものではないかと思います。結局、僕らは基本的にプロデューサーから仕事が降りてくるわけなので、そこが疲弊しているとイコール仕事が薄くなる、という当たり前の理屈なわけなのです。

それと、このところ強く思うのは、映像業界に限らずかもしれませんが、専業で専門家、という立ち位置がどんどん難しくなってるような気がします。プロデュースのみのPや、演出のみのD、撮影監督のみのC、という「専門家」の出番が少なくなっているんじゃないでしょうか。まあ、これは景気うんぬんというより、もっと業界の構造的な問題だとは思いますけどね。
特にVP業界は、もともとが、制作体制も含めて色んな「作り方」が混在しているので、崩壊も速かった、という事があるような気がします。

これは悩むところではあるんですが、本来、仕事のクオリティ、というか業界の質みたいなものは、専門領域をやる人が集まるから保たれるという面があります。産業映画の流れを汲むVP業界も本来はそうなんです。それが現状では、仕事のサイズが小さいので、スタッフを数少なくして、ひとりが複数の役割を掛け持ちしながらではないと成り立たないという現実があります。同時にそれが出来るデジタルな環境も整っているので、当然そうなる、という...。実際、ディレクターでもせめてノンリニア編集ぐらいは自分でできないと仕事が発生しにくい状況。
本来は、「ノンリニアで自分編集」ものすごく可能性のある選択肢が増えた、という事だったのに、もはや、選擇肢はそれしかありません。時代の流れといってしまえばそれまでですが、一見、デジタルで自由になっているように見えながら、実は選擇肢が狭まっている、というのがジレンマではあります。
それでも、ディレクターのサバイバル術としては、ノンリニア編集は欠かせませんけどね。
そういったことを踏まえて、別のクオリティをつくっていくしかないのでしょう。

余談ですが、それと関連して思うのは、自分でオペレーションするノンリニア編集しかやったことのない若いディレクターには、ぜひ、ポスプロで自分と感覚の違う人達と一緒にやっていく編集を体験してほしいと思います。編集は飛躍的に上達するでしょう。

まあ、うだうだいっていてもしかたないので、粛々とやれることをやっていくしかありませんね。
今年の前半のシ〜ンとした状況から比べると、このところは少し動きが出てきてはいると思うし、まだまだ、出せるカードを出しきっているわけでもないので...といいつつ、今年中に結論が出て欲しかった仕事が何本もGO待ちのまま年を越してしまいます。たのんますよ、ほんと。

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今年もDVDを一枚出しまして、うちの土田Pの専門分野であるプラモのDVD。
前作と合わせて、結構重要な収益源になりつつあります。元手があればもっと加速させたいところです。

DVDでは、来年春あたり発売のものが進行しています。年明けには少し詳しいインフォメーションができると思いますが、映像業界向けの映像コンテンツなので乞うご期待...です!

それと、今年は、本も一冊書かせていただきました。翔泳社さんからのPremiere Proの解説本です。中身はひたすら「説明」なのでクリエティブな要素はほとんどないんですが、情報量がかなり。こういうのは、書き始めてエンジンかかるまでは辛いんですが、そのうち段々と気持ちよくなってくるから不思議です。「大量の情報」を自分で作り出しているという快感かもしれません。書き終わる頃には「もっと書きたいな~」という感じになるのが面白い。

振り返ってみると、いわゆる「普通の受注仕事」がいかに薄かったかわかりますね。改訂版とか、予算ないからスチール構成で、とか、新規制作のVPでも半分はアリモノ素材再利用とか、カチっとした制作物が本当に少ない。
企業VPを考えると、企業のプロモーション手法が変わってきているので、当然プロモーションツールも変わってきていて、その影響が映像制作にも出ている、というごく普通の事が起こっている、と同時に、(やっぱり)景気が悪い。
あと、例えば、中小の製造業とか、動画を使えば効果的だと思っていながらも、コストの面から手を出さずにいるというクライアント候補も多いように思います。そのあたりをどれだけ掬い上げることができるか、みたいなことも今後重要な課題でしょう。企業マッチングを志向しているWEBサービスも色々あるので、そういう所との連携を考えるとか。

なんか、結局景気悪い話で年越しか〜。
んー。

まあ、今年から一年を春始まりと決めたので、中途半端な年末もこれはこれで...。

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2010年11月22日 (月)

Premiere Pro CS5逆引きデザイン事典 PLUS

この夏 から秋にかけてシコシコ書いていた本が出ました。
PremiereProの逆引き辞典風解説書です。
以前、SC3用のものを書いたんですが、それの改定版です。
バージョンとしてはSC4を飛ばしていることもあり、大幅改訂になりました。
「PLUS」とつくだけあって、本文以外に、ショートカット早見表とか、全エフェクト解説とか、作例素材のダウンロードとか、特典盛りだくさんの内容になっています。
もう店頭にもならんでいるハズですので、見かけたら、ちょっとパラパラやってみていただけると幸いです!

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2010年11月 9日 (火)

はしょらずに見せる(実感値)

僕が代表をつとめているイメージメカニックLLPでは、「一目瞭然DVDシリーズ」というハウトウDVDのパッケージ商品を展開しています(というほどラインナップがまだあるわけではないんですが)。そのコンセプトは「はしょらずに見せる」です。

一般に、商業的な映像作品は「はしょってなんぼ」「捨ててなんぼ」という作り方をします。ある作業を、まるまる10時間撮影したところで、映像作品になりうる常識的な時間はわずかなものです。商品にするためには「はしょらないと」話にならないわけです。プロの編集テクニックは、ほぼ、「どうカッコ良くはしょるか」にかかっています。「刈りこんでなんぼ」です。

例えばテーマが「ある作業」だったとして、それ刈りこむときに重要なのが「何をどうすると、どうなるか」「こうするためには、何をどうするか」みたいな視点です。
この「何をどうするとどうなるか」をピックアップして構成し、その上でディティールに踏み込んだり、ニュアンスを伝えたり、もしくは「味」みたいなものを醸しだしたり、演出的に付け加えるギミックなどをやる。で、こうして伝わる情報は「これを、こういう順番で、こうすると、こうなる」といった、いってみれば「段取り」です。段取りをいかに面白く、いい感じで見せるか、という事になります。

そういう風にして出来上がった映像は、「その作業がどんなものか手っ取り早く知りたい」という人にとっては、コンパクトにまとまってテンポもよく、わかりやすいので、良く出来た作品になります。
しかし、実際にその同じ作業をやってみよう、と言う人にとっては、これでは情報は不足なんですね。というのは、この「捨ててしまっている部分」が、ともすれば「実感」だからです。「実感」というのは身体感覚と結びついていて、そこが抜けてしまうと体は動かないし、解らない。多分、それなくしては映像でハウトウをやる意味はあまりないのではないか、と、そう思っています。
そこに、広告業界や放送業界の論理で作られた「紹介映像」と、ユーザーの作業にガチで役立つ「ハウトウ映像」の違いがあります。
だから、一目瞭然DVDの「はしょらずみ見せる」というコンセプトが生きてくると思っています。実際にその場で見てみるのが一番なんですが、それにかわり得るもの、その次にいいものを映像で提供しようというのが狙いです。

もちろんまったくはしょらずに見せる事は不可能なんですが、なるべく、いつもははしょってしまいがちな「なんでもない作業風景」を丁寧に見せることで、加減、塩梅、機微、みたいな、ニュアンスを伝えたい。ある結果に辿りつくまでの「プロセス」をじっくり見せたい。

例えば「筆を軽くあてます」といった場合、「どの程度軽く」かは、「どんなスピードで」「どんな筆の持ち方で」「その時どんな音がするか」「緊張してやるのかリラックスしてやるのか」などの複合的なものです。それは、その筆遣いを数カット、ポンポンと見て理解できるものではありません。一連の作業をじっくり観察してはじめて得られる情報だと思います。こういったものは、ある程度の尺を見せて、視聴者の脳を「その世界」に入り込ませる必要があると思います。映像による「実感」というのは、こういう没入感の中から視聴者が自分で作り出す情報のことではないしょうか。

一般に、ディレクターに要求されているのは、捨てるセンスとテクニックなんですが、この場合は、いかに「うまく捨てない」か、が要求されます。

視聴者の頭の中に、コップのようなものがあると仮定して、そのコップに情報を流しこむ...どれぐらい流し込んだらコップがイッパイになるか、そういう編集です。今の映像業界のなかではかなり特殊なテクニックではありますね。
こうして作った映像は当然ですが、長くなります。実際、一目瞭然DVDの最新作「戦車模型の作り方 応用編」は、6時間もあります。
で、 その6時間を見てくれたユーザーの評判はと言うと、まあ、上々のようです。そればかりか、実際に模型をやらない(僕自身もそうなんですけどね)、興味本位 だけ、もしくは千崎との付き合いで見ちゃった人も「なんか妙に面白い」「結局全部見ちゃった」など、好意的な評価を複数頂いています。

もちろん、なんでも「はしょらない」でいけるわけではありません。この考え方が通用するのは手仕事など体を使うものに限られるでしょう。
例えば、PCソフトや何か機械のオペレーションを教えるような場合だと、ボタンやダイヤル、キーボードやマウス、ペンタブレットといった単純な入力装置で、しかも、均質なインターフェイスの中でやるわけなので、じっくりプロセスを追うことより、適宜はしょって「段取り」と「ロジック」を伝えることの方が重要な場合が多いと思います

しかし、PCソフトでも、ペイントソフトで絵を描く、といった場合には、はしょらない、実感をともなった表現が必要になってくるでしょう。それはPCソフトの使い方の話ではもはやなく、「絵の描き方」の範疇に入ってくるからです。

つまり、アナログ的なニュアンスや加減、塩梅が重要なものは「はしょらない」方が役に立つ、「実感値」を大切にした編集が役にたつ、いや、そういう風にしなければ役に立たない、という事は言えるような気がします。

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2010年5月22日 (土)

コミュニケーション/受信感度

コミュニケーションについて思った事のメモ。

仕事の打合せの場で「コミュニケーション能力」というと、どうしても、自分の考えている事をいかに相手に伝えるか、みたいな事になってしまんですが、でもそれは間違っている。
コミュニケーション能力の基本というか大もとは「聴く力」でしょう。
それは、相手の言葉の意味を汲み取ったり解釈したりする力でもあるけれども、相手の声や表情からニュアンスを聞き取る、など言語化されていない情報をいかに受信出来るか、その感度の問題なのだと、まずは思うんです。
この感度がにぶってしまうと、相手のニュアンスがわからず、結局は相手との距離が図れなくなってしまうし、その状態で何かを一生懸命伝えようとすると、ますます距離を作ってしまい、ますます孤立する。

そうなんだよなあ。
仮に、打合せの場で、一言も発言できなかったり、注目も浴びず、良い所を見せられなかったとしても、相手が発信していることをきちんと受信できてさえいれば心配ない。
なのに、「何かを伝えなければ」と思ってしまうところに、ある種「つらさ」みたいなものが芽生えると思うんです。

情報発信ありきでコミュニケーションをとると、ついつい小さな妄想のようなものが入り込んだり、解釈が曲がってしまったり、意気込みのあまり思ってもいないことを伝えてしまったりします。
そういう状態で行われる打合せに、あまり実りはないんですよね、結局、ボタンがどこか掛け違ってしまっていて、あとでモメる。

存在感を示そう、ではなくて、相手の存在を感じよう、そういう事だろうと思います。
「ちゃんと受け止めました」という姿勢が相手に見えるだけで、コミュニケーションってほとんど成功しているのではないか。
双方向に何かを伝え合うコミュニケーションなんて、本当はかなり稀な出来事ではなんじゃないかなあ。
何かを伝え始めるのは、まず相手の事が「聴けて」それから、徐々にでいいし、なんか良い所を見せることができたとしても、それで相手が自分の事を好きになってくれるわけでもない。

その聴く能力は、「シンクロする能力」「共感する能力」みたいに言い換えてもいいと思います。

でもこれは、「空気読めよ」というのとは違います。
空気読めよ、はどちらかというと「場」の話ですが、それはコミュニケーションとは違います。それは、自分や他人を居心地よくするためのスキルで、まったく別の話。
空気ばかり読んでいると、逆に「聴く能力」はどんどん衰えていくのではないか。

相手が発している情報を受け止めて、それに対して、誠実にリアクションする、という事をするだけで、ほとんどの仕事は円滑に進行すると思います。
(まあ、うまく行かないケースというのもあるんだけど、それはもともと相手とそもそもの周波数が合わないからで、その場合、うまく行くようにするのは非常にやっかい)
結局は「相手が(何を言ったかよりも)何を思っているか」でしょう。

あいつ、我が強くてやりにくいよね、という場合、それは実は我が強いんじゃなくて、受信感度が低いという事なんじゃないか。

...と、最近、仕事上で感じた事を、ややもどかしい言い方で述べると、つまりは、まあ、こういう事だったりするかなあ、と。

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