SIDE B 生物多様性の勉強

2011年1月 7日 (金)

環境の多様性について

これまで、生物多様性を支える3要素を「種の多様性」、「遺伝子の多様性」、と考えてきて、今回が3つ目、「環境の多様性」です。これも、考え始めると色々難しいですね〜。
環境の多様性は「生態系の多様性」とも言われるようですが、そっちの方が言葉の使い方としては分かりやすいと思います。

●生物多様性のベッド
地球上には、温帯地方、熱帯地方といった気候帯による環境の違いや、海洋、平地、高山、みたいな地形 などに由来する様々な環境があります。さらに、海洋なら深海から磯まで、様々なニッチがあります。そのひとつひとつに独自の生態系があって、まさしく多様な姿を形作っています。
このような環境の多様性があるから、種の多様性や遺伝子の多様性が生まれてきます。そうして、種や遺伝子の多様性のベッドになるのが環境の多様性だと思います。
なので、「環境破壊」がそのまま生物多様性の損失に繋がります。
早い話、この環境の多様性さえ保全することができれば、生物多様性は守られる、という事になるのではないでしょうか。

環境の多様性が守られるためには、地形や景観が守られるだけではダメで、中身の「生態系」の方が重要です。
例えば、川の水をきれいにする運動がイコール生物多様性を守るためになるかというと、そうとは限りません。
いくら見た目に豊かな自然が守られているようにみえても、そこに生えている植物や生活する動物のかなりの割合いで外来種だったりした場合は、その環境は破壊されています。美しい水辺があっても、そこに泳ぐ魚が錦鯉やブルーギルだったり、のんきに日向ぼっこをするカメがアカミミガメだったり、ホタルが本来の亜種ではなかったりしたような場合、その環境は、見た目や水の清浄度にかかわらず破壊されています。

生物多様性という文脈でいう「環境」と、「環境問題」「公害」のような文脈でいう「環境」とは意味が違うわけです。

●複雑にからみあっている
環境=生態系の多様性は、どこまでも細分化することができます。
一本の木をみても、土中の根の周囲の生態系、落ち葉が積もる根本生態系、幹の生態系、葉の茂みの中の生態系、木の梢の生態系、といった多様な生態系=環境をふくんでいます。
さらには、そこに生活する生物一匹一匹の中にも共生や寄生をする生物がいて、そこにも生態系があります。
例えば、人体もひとつの生態系、と言っていいのかもしれませんね。僕自身の体にも顕微鏡的なレベルで見れば、頭皮、鼻腔、口腔、手や足の皮膚の表面、消化器の内部、などなどに様々な生物がいて、それぞれに生態系が あるわけです。腸の内壁に至っては、僕自身の腸の細胞と共生・寄生する微生物のコロニーとがほとんど分離不可能な状態にまで、密林化しているのだそうです。

環境の中に生態系が形作られるわけですが、生態系そのものが別の生態系を形作る環境でもあって、なんというか、入れ子構造のようになっていて複雑です。
例えば珊瑚礁ですが、温暖で光の豊富な熱帯の海という環境がサンゴを育みます。と同時にサンゴも他の生き物にすみかを提供したり、別の生き物を寄生させたり共生したりして自ら環境にもなっている。
また、安全で温度湿度が安定している洞窟はコウモリに生活や繁殖のための環境を与えていますが、その洞窟の床にたまったコウモリの糞がべつの生物たちの生態系をささえる環境を作り出している、といったような事もあります。
環境の中に生態系が形作られると同時に、生態系そのものが環境をつくってもいるわけです。

環境=生態系は一つ一つの要素が互いに影響しあい、依存しあっているので、とても複雑な構造をしています。
その中から、ひとつの要素だけを取り出して何か大きな影響を与えてしまうと、その要素が関連するすべての要素に影響が及び、バランスが崩れてしまいます。
なんか、下手にさわれないな、というのが「環境=生態系」なんじゃないでしょうか。

●人間との相互作用(マイナスの)
あと、関連して気になるのが、人間が、ある特定の生物に対して影響を及ぼす、という事の弊害です。

昨年の秋、熊が里に降りてきて捕殺される事件があいついでいて、熊の命を守るために山にどんぐりを撒いていた組織があるようですが、本当にそんな事をして大丈夫なんだろうか、と思います。心配です。
これは、色んな人が指摘している事ですが、山林に他の地域のをまくことで 、どんぐり(カシやシイ)の遺伝子が汚染される危険がある上、どんぐりに寄生している昆虫などが一緒にばら蒔かれているのではないか、という点がひとつ。
もうひとつは、どんぐりを食べている他の動物、例えばネズミなどが異常に繁殖してしまうおそれがあることです。熊も撒かれたどんぐりを食べるでしょうが、ネズミはもっと食べているかもしれない。
それと熊の生活に人間が立ち入る事による影響も心配です。熊も様々な事を経験から学んでいます。人の匂いが移ったどんぐりを食べることで人間の匂いとどんぐりを関係づけてしまったら、食べ物と人間とが関連づけられてしまう。となると、ますます人間の集落に熊が近づく原因になるかもしれません。熊の本能に従えば人間は避けるべき対象でしょうが、人間の存在が餌と結びつき、自分にとってプラスの意味を持ち始めると人間の生活圏にどうしても近づいてきてしまうでしょう。
野生動物も本能のみにしたがって生きているわけではありません。日々「情報収集」をして学習し、その状況が自分にとってどんな意味があるのかを貪欲に精査している。
人間の側は「どんぐりだけ」を提供しているように思っていても、クマたちは「どんぐりそのもの」の他に、それと関連付けながら「人間の匂い」「どんぐり散布のヘリや車の音」「散布の際の人間の声」などなどの情報を同時に受け取っています。それらの情報がクマの生活、というか、「行動」に大きな影響を与えてしまう、というのは充分に考えられることだと思います。

それと、シカが増えすぎて食害に困る地域で、絶滅してしまった鹿の天敵であるオオカミを輸入して放そうという計画も検討されているらしい。これも恐ろしいですね、どうなることやら検討もつきません。そもそも人間がオオカミを絶滅させてしまった事がシカ増加の大きな原因ですから、個人的にはどうなるのか見てみたい気もするし、その効果に期待もしたいですが、実行するにはあまりにリスキーだと思います。
この場合、生態系の変化もそうですが、人間の側にも大きな課題が課せられます。もともと日本には今は絶滅してしまった、ニホンオオカミがいたわけですが、いた当時は、人間の側にオオカミと付き合うノウハウや文化があったのだと思います。今はそれらは失われているわけで、まったく触ったことも、食べたことも、襲われたこともない未知の「強い」動物といきなり付き合うことになります(カラスとさえうまく付き合えてないですよ、人間)。
で、現状で増えすぎたシカがいる、そこのオオカミを導入してシカを食べてもらう、とするとオオカミは増えます。増えたオオカミはますますシカを食べる、そのうちシカが減ってくる、となると、増えたオオカミがお腹を満たすために何かほかのものを食べないといけなくなる。そうなると現在の熊の大量出没と同じことのオオカミバージョンが起こる...のかもしれません。クマどころではない、非常にやっかいな状況が生まれるんじゃないかな、と思ったりします。

●あるのは「環境の多様性」だけ
「種」「遺伝子」「環境」という生物多様性の3つの要素が並列で存在する、というより、あるのは「環境の多様性」なんだと思います。環境は多彩な生物が織りなして作り上げられているものなので、多様な環境があれば、そこには多様な種と多様な遺伝子が存在する。
そう考えると、子供にわかる生物多様性解説への道筋もちょっと見えてきます。

地球上には色んな環境があって色んな種が生きることができ、そこには色んな遺伝子が存在する。そういう「賑やか」な状態を守るのが大切なんだよ。
子供に伝えるとすると、そんな感じだろうか、どうなんだろう。
その際、その環境とは、アマゾンやグレートバリアリーフのことだけではなく、近所の池や原っぱみたいな、身近なところにもちゃんとある、という事もあわせて伝えないといけないと思います。

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そうか、「多様であること」が無条件に素晴らしいことである、ということを伝えないといけないのかな。

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2010年11月15日 (月)

遺伝子の多様性

種の多様性を構成するそれぞれの種は、今存在しているだけではダメで、今後もずっと続いていく必要があります。種の多様性が保証されるためには、それが充分に持続可能でなければなりません。その為に必要なのが「遺伝子の多様性」です。

●同じ種の中に遺伝子の多様性がある
人間は、世界で「ヒト(ホモ サピエンス)」という1種しかいません。でも、住んでいる地域によって色んな肌の色もあるし体格も違います。これが遺伝子多様性のひとつの例です。ヒトの場合は、自分がヒトなのでその多様性はよくわかりますが、他の種の場合、ちょっとわかりにくい。
例えば、関西の蛍と関東の蛍では、同じ種でも、おしりが光るテンポが違っていたりします。お尻を光らせる遺伝子が違っているからです。そういう例は注意していれば分かりますが、そうでもない限り、ほとんどの場合、見た目は変わらなかったりするのでよくわからない。
おおざっぱに「この種」といい、見た目にはかわらないようにみえても、実はその中に色んな「その種」がいるわけです。その多様性は遺伝子の違いが司っています。

池にメダカの群れが泳いでいたとして、見た目は同じようでも、この中には、寒さに強い遺伝子をもったメダカや、暑さに強い遺伝子のメダ カ、産卵数の多いメダカ、卵一個のサイズが大きめなメダカ、なぜか群れから離れて行動するメダカや、強く群れになりたがるメダカ、好奇心旺盛な個体や、用心深い個体など、体質や性格に違いがあります。このそれぞれのメダカの「個性のバリエーション」が遺伝子の多様性です。

●種の強さ
この遺伝子の多様性がもたらすものは、種の「強さ」です。なんらかの理由で環境が急に変わってしまった時、遺伝子の多様性があれば、その環境の変化に耐えて生き延びる個体が出てくる可能性は高まります。それによって、環境の変化に耐えてその「種」が続いていく事ができるわけです。

一度個体数が減ってしまった動物を、人為的に回復させた場合、数としては増えてもその中身、遺伝子の多様性が失われている場合があって、とても脆弱な個体群になってしまうそうです。つまり一度環境が変わると、また自然に激減してしまう可能性がある。それが遺伝子の多様性が失われた状態です。

「遺伝子の多様性」がわかりにくい、なんかピンと来ない理由の1つは、種の多様性と、なんとなく並列に見えてしまう事だと思います。遺伝子の多様性が重要である「理由」がいまひとつピンと来にくい。種の多様性(の持続)を保証している条件が、遺伝子の多様性なので、ちょっとレイヤーそのものが違う。

●変化のエンジン
それと、種の多様性は常に進行形で変化していく可能性を秘めています。現在の多様性は別の多様性に変化していく途中なわけです。この変化のエンジンになるのも、遺伝子の多様性です。ある種の中のある個体の個性(遺伝子)が、別の種を生むきっかけになるかもしれないわけですから。
遺伝子の多様性は、種を続けていくために必要であると同時に、種が変化したり枝分かれしていくためにも必要なわけです。

●混ぜるな、キケン!
一般的な議論で、遺伝子の多様性という話の中ででてくるのは、地域性みたいなものです。地域亜種の存在を遺伝子の多様性とみて、それを守ろうという話になっている場合が多い気がします。先のホタルで言えば、関西のホタルと関東のホタルが両方いるのが正しい状態で、どっちか1つになってしまうと(混ざってしまうことを遺伝子汚染、などというようです)、遺伝子の多様性が失われている、とする。
「亜種」と呼べるほど方向性がはっきりしていなくても、その地域の個体はその地域なりの遺伝子を持っています。それを混ぜてはいけない。外来種ではなく、外来遺伝子の問題、といったらいいか。

なんか、ぼんやり考えると、違う地域の同じ種を混ぜると、むしろ遺伝子の多様性は高まっているじゃん、みたいなイメージも出てくるなあ。
でもそれは違います。混ざるとそのうち均質になります。西の遺伝子と東の遺伝子(実際はもっと細かいんですが)がきっぱり分かれている状況より、西の遺伝子と、西っぽい東の遺伝子とがある状況、どちらがより多様かというと、前者です。
うちでも飼っているいわゆるイエネコはベンガルヤマネコの亜種だそうで、イエネコとベンガルヤマネコは交雑するそうです。で、ベンガルヤマネコの原産地にうちのネコを離して、それがたまたま大繁殖してその地方のヤマネコがすべてうちのネコの子孫になってしまったとして、それでも、それはかつてのベンガルヤマネコと言えるか?といえば、それはいえないでしょう。動物の分類上はベンガルヤマネコだったとしても。
国立科学博物館の1Fにある、アズマヒキガエルの地域変異の展示(模型なんですが)なんかみると、ちょっと愕然としますよね。あ〜、こいつら、混ぜちゃいかん、と実感します。

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子供に説明するには、この遺伝子の多様性が一番難しいかも。
種や環境の多様性は、いまある多様性を実感できればある程度イメージできますが、遺伝子の多様性は、サイズのスケールは小さく、時間的なスケールは長すぎて実感から遠い。
ある程度「理屈」でわかってもらうしかないのかな〜。
実際に、同じ種類の生き物を複数飼育してみたり、地域の違う同じ種を見比べると、よくわかるんですけどね〜。

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2010年7月 2日 (金)

種の多様性について

これは、一見、わかりやすい多様性です。生物の「種」レベルの多様性。
種というのは、動物を特定する 場合に、「その個体」の前の段階の認識の単位で、分類学で扱う単位の一番細かいものです(亜種という形で個体群が識別される場合もあるので一番細かい、というのも言い過ぎかもしれませんが)。
例えば、ホンドタヌキ。例えば、クロメダ カ。あるいはスズメ、ハシブトガラス、ウグイス、とか。あと、ヒト、とか。

種の概念を厳密に考え始めると実は結構ややこしく、実は「人 類が、なんかそういう風に感じてしまう動物の違い」がベースにあるようです。それを厳密化するために解剖学的なアプローチが続けられてきました。最近では、これに遺伝子の分析を入れることでより精密化する、という事が行われているようです。「種」の定義の仕方も様々あるようで、一見自明の事のように見えて、実は結構手強い概念のようです。

が、それは、まあ、おいておいて。

生活するそれぞれの種は、環境の中でそれぞれの位置づけをもっている、というか、役割を持っている...というか、役割を演じています。
種の多様性を考えた場合、重要だなと思うのは、多様な種が「同じところに同時にいる」という事だと思います。つまり、 「環境」というものを想定しないといけないわけです。
まったく地理的に関連性のない、遠く離れた地域に生きる生物を離れ離れに1種2種と数えてみ ても生物多様性にはなりません。同じ環境の中で、同時に、それぞれの役割を演じながら多様である、という事が重要なわけですから。

つまり、ライブな状態で種が多様である事。

例えば、ある地域にある種の渡り鳥が渡ってこなくなったとします。その鳥が絶滅したわけではなく、その地域の環境的な要因で来なくなってしまった。この場合、種の多様性は失われているのでしょうか。その鳥(の種)はピンピンしているのだから、種の多様性は失われていないように見えますが、「その地域」においては失われている事になります。
つまり、種の数は減ってはいないけれど、種の「多様性」が失われている、というケースがあるわけです、というか、ほとんどはそういう事態なんだと思います。
最近、東京都には、ゲンゴロウが生息していないという判定を下されました。「日本の水生昆虫」という図鑑があったとして、その図鑑からゲンゴロウという種が消えることはありませんが、でも、東京都では「ゲンゴロウもいる」という種の多様は失われてしまったわけです。生物多様性という中で考える「種の多様性」とは、そんな風なごくローカルな問題なんだと思います。
だから、「東京にいなくなっても他の県に行けばいるわけだから安心、種の多様性は失われていない」と考えるのは間違いで、今、ここに、かつていた種が「いなくなった」という事が、種の多様性が失われた状態だと思います。

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種の多様性が失われる=ある種が絶滅してしまう、という事ではない。
絶滅しなくても、種の多様性は失われる。
だから、「種の多様性」と「種の絶滅」を隣あわせや対になる概念として扱うのはキケン。そもそもレイヤーが違う。
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あるローカルな環境を「ステージ」とイメージしたときに、そこに登場してくる「役」の数が多様性を決めているという風にも理解できる。
環境をステージ、種を登場人物として語る、というのは良いアイディアかも。

で、自分が小学生ぐらいだったとして、種の多様性は大切で、そこに暮らす生物が多種多様な状態を続けていかなればならない、という話を大人から聞いたとして、ごく素朴に疑問だろうなあ、と思うことがあります。
それは

「じゃあ、ゴキブリは?蚊とかハエは?畑の作物を食べるアオムシは?」

みたいな事です。いわゆる人間にとっての害虫は種の多様性の中に含まれてるの?
これは、50才の僕自身も素朴にギモンなんです、というか、当然種の多様性の中にヤツらも含まれているわけなんですが、人間としてどう対処するのが正解なのかよくわからない。
ゴキブリは維持しなければいけないのでしょうか。
まあ、今のところダントツで個体数は多そうですから特に気にしなくてもいいのでしょうが、生物多様性の一員にゴキブリも当然入っているわけですから、それに対してどう接すればいいのか、というのは、なんか、すっきりしないですね。
別にゴキブリ、毒もないし、殺す理由は「気持ち悪い」からなんですよね。いなくなって欲しい、と思うのは、当然人間のエゴです。

それと、人間を殺してしまうかもしれない生物をどう考えるのか。例えばコレラ菌とか病原性大腸菌とか。さらに、生態系の一部をなすものすべてを対 象とする なら、生物とはされていませんが、各種のウィルスも仲間に入ってきまますよね、多分。その中には病原性のものも含まれまれますよね...。

「じゃあ、ゴキブリは?」と質問されたときに、どう答えるのか。対象がコレラ菌なら、「キミが死にたくなければ殺すしかないでしょ」となるわけでしょうが、ゴキブリは?むずかしい。
まあ、僕は見つけたら即スリッパでたたきつぶしてますけど、そのたびに「じゃあ、ゴキブリは?」というギモンが頭の奥のほうに浮かびます。

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2010年6月16日 (水)

生物多様性という言葉

このご時世で、何かと話題にのぼる「生物多様性」という言葉。現代の重要なキーワードの一つなわけですが、これ、説明するとなるとけっこうやっかいな言葉です。
特に子供にわかるように説明しようとすると、ちょっと途方にくれるほどわかりにくい。
今回、「生物多様性の勉強」というカテゴリーを設けまして、何をやりたいかというと、最終的には、子供向けの生物多様性を解説するコンテンツを作ってみたいな、と。映像になるのか、Webコンテンツになるのか、まだわかりませんが、ちょっとトライしたい気持ちになっています。
具体的な対象は、小学校高学年から中学生。

そのための基礎資料作り&基礎勉強をやろうと思います。
基本的には、生物多様性とその周辺のワードを調べて、自分の解釈を付け加えていく、という作業になると思います。

しばらくは、まず本家の「生物多様性」という言葉を紐解きたいと思います。

●3つの生物多様性
生物多様性とは、ひらたく言ってしまうと、色んな生物が同時に存在している状態、という事だと思いますが、実際には、そうシンプルでもないようです。
生物多様性を成り立たせる「多様性」は3つあるそうです。
(1)遺伝子の多様性
(2)種の多様性
(3)環境の多様性

それぞれについては、後の投稿で詳しくみていきたいんですが、大まかに、パッと見、わかりにくいですね。
「生物多様性」というワード自体がとっつきにくい上に、一段階掘り下げるとさらにとっつきにくいものがしかも3つも現れる。

で、こういう場合、言葉をはしょりすぎている、というケースがままあるので、試しに、言葉をおぎなってみましょう。

(1)種内の遺伝子の多様性
(2)種の多様性
(3)種が暮らす環境の多様性

「種」を基準とした3要素の多様性というイメージでおぎなってみました。
少しわかりやすくなったような気がします。

順番はどうでしょう。
「種の多様性」を基準とするなら

(1)種の多様性
(2)種が暮らす環境の多様性
(3)種内の遺伝子の多様性

この順番の方がいいかなあ~。
まず種の多様性を考えて、その外的な多様性(環境)と、内的な多様性(遺伝子)を置く、という考え方。

まあ、いずれにしても、「ストーリー」にしないと理解も促進されず、記憶にも残りにくいので、この3つを、今後細かく見ながら方策を考えていくことにしたいと思います。
(実際にはこの3要素は渾然一体となっているはずで、そもそもこの3つをいわなきゃけないのかどうか、そのあたりも含めて検討かな)

●時間の概念
それと、生物多様性という言葉は「多様な生物が沢山いる」というイメージを喚起しますが、そのままでは時間の概念が希薄、という面もあるような気がします。
生物は機械や建物とちがって、変化する存在で、これまでずっと変化しつづけてきて、今の変化を続けています。この変化が持続しなければ、生物らしくないわけです。
今現在、自然界にある生物の多様性は、別の多様性へと変化していく途中にあるものです。そのあたりのイメージをうまく言えるといいのですが。

● ダイナミズム
生物多様性を形作る多様な生物は、ただそこにいるだけではなく、活動をしています。ある生物の活動が別の生物に影響し、その影響が複雑にからみあって「多様な」全体像(=環境といってもいいのかな)をカタチ作っている。そういう、「動いている」ダイナミックなイメージで伝わらないといけないと思います。
「ダイナミックな生命活動(どんなにミクロな場面であっても)」「(多様な生物が)相互に影響しあう」「多様な生物の活動が環境そのものを作ったり変えてしまったりする」...あたりも重要だと思います。

んーと、独り言的なものとして、ちょっと長期的にアプローチしてみようと思います。
とりあえず自分なりに気が済むまで考察を続けて、ストーリー化&プランニングに進もう思っています。

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